財閥銀行 帝都野望篇  プレイレポートと資料

タイトル画面

本作は関東の大手私鉄をテーマにした経営シミュレーションである。作中で関東私鉄7社+営団地下鉄を創業し、経営期間は明治初頭から21世紀の冒頭に及ぶ。タイトルの通り、傘下には銀行業も加わるが、融資はグループ企業に限定される。

わたしは金に汚い人間だ。せめてゲームの中では浴びるように金がほしい。しかし、実機(98FA)でプレイした当時のわたしには歯が立たず、満身創痍の体で21世紀を迎えたのだった。

それから20年、本作のことは片時も忘れたことがない。

先日、かねてから進めてきた蔵書の自炊作業が終了した。それを記念して、今回は本作に対する積年の恨みを晴らしてみたい。

今度こそわたしは巨万の富を築き、世界中のキャバクラを股にかけるのである。

攻略の傾向と対策

20年前の挫折は、不動産業の機能不全と銀行業の行き詰まりに依るところが大きかった。今回のプレイではそれらの解決法が模索された。

不動産業

戦後の地価高騰を待たないと、不動産業はまともな利益を計上しない。最初の80年間は、資本金を原資に土地を購入せねばならないが、物価上昇に伴い、そのままでは昭和初期近辺で資本金が尽き、業務が凍結してしまう。そこで作中では、1920年代の東横線開業時に、田園調布の宅地開発イベントが用意されている。戦前の不動産業がまとまった資金を獲得できる唯一の機会である。問題は投資額の10百万円。完成までの間、毎年の金利支出がおよそ1000千円生じてしまう。対して、当時の不動産業が捻出できる額は1年につき約60千円と桁が違う。

当時、バブル崩壊期の真っ直中にあったわたしの緊縮脳はそこで苦悩した。莫大な投資額に加え、その利息分を開発完了までの間、更につなぎで借り入れねばならない。それはわかっている。しかし、そんなおぞましいことを試みるくらいなら不動産業は破棄した方がましだと我が緊縮脳は結論したのだった。

今回は自らを鞭撻し、これを実行してみる。

銀行業

銀行の行き詰まりはやや込み入っている。銀行業では戦前と戦後でそれぞれ危機が訪れる。まず、1890年代以降に預金の膨張が始まり、資金需要が追い付かなくなる。これは支店数を制御すれば解決できる問題で、当時のわたしでも容易にクリアすることができた。ところが、それからおよそ100年後、銀行業にふたたび危機が訪れる。80年代以降の低金利時代入るや銀行の収益性が悪化。資金繰りのためにやむなく、支店を増やし続ける自転車操業に走ってしまった。それも90年代半ばには行き詰まり、資金潤沢な流通業からの輸血によるターミナルケアによって、かろうじて最後の5年間を生き延びた始末であった。戦前の危機とは違い、支店数を抑えても結果は同じである。そもそもそれでは、戦後の莫大な資金需要に応えられない。ではどうするか。

市中から資金を集めるには、金利に加えて支店の賃料コストがかかる。80年代以降になると賃料コストが利鞘を上回る。賃料コストを下げるには、支店数を減らさねばならないが、それに応じて集められる資金も減少し、前述の通り、支店数の増減は関係がない。他方、支店を通さないため、金利以外にコストのかからない調達先もある。グループ企業からの資金調達だ。預金残高において、傘下企業からの資金調達の割合が市中のそれを圧倒するほど、全体の調達コストは減少するはずである。

銀行業の経営問題は、ここにおいて、流通業のそれに直結していることが理解されてくる。戦後において、莫大な資金を銀行へ融通できるのは流通業をおいて他にない。

1960年代に入ると、流通業は遊園地を開設できるようになる。後楽園、としまえん、よみうりランドと90年代冒頭の舞浜である。遊園地の建造に当たっては膨大な資金が必要だが、いったんひとつでも開設できた段階で、流通業の経営はほぼ完結したと見てよい。遊園地から生じる利益は莫大で、一転して流通業は資金を飽和させてしまう。これを銀行へ流し、不動産部門に貸し出す。不動産業は、戦後一貫して資金需要に困ることはない。80年代末のバブル期にはブラックホールとなり、いくらあっても足りなくなる。

20年前の破綻を考えるに、これは不動産業の旺盛な資金需要に対し銀行だけで対応しようとして、支店数をいたずらに増やしすぎたのが原因であったと思われる。流通業と鉄道業から資金を回し、支店数を抑えるかたちに持っていけば、今度こそ21世紀を持続可能なかたちで迎えられるはずだ。

+++

そろそろプレイレポートへ移ることにしよう。本稿と後述する資料編によって、『財閥銀行攻略の手引き』の忌々しいプレミアムが少しでも暴落してくれるのならば、これに勝るよろこびはない。

プレイレポート

1870年代

1871年
1871年


ゲームの冒頭では各部門へ資本金を配分する。その際、特に注意したいのは、鉄道への配分額だ。1880年代に入れば、山手線と中央線の買収案件が入り、鉄道業を開業できる。買収額はそれぞれ1050千円ほど。この費用を前提に資本金を設定しないと、鉄道が開業できない。本作の過酷なゲーム性が早速露見するのである。

資本金
資本金設定画面


今回は余裕を見て鉄道業に1200千円配分した。ちなみにノーマルモード(すまん)である。残りの大半は不動産業に回し、流通と銀行は最低限に抑える。不動産業の資本金を銀行へ回し、銀行はそれを流通業へ融資する流れである。1870年代は、流通業以外に資金需要がない。利益を計上できない不動産業は、銀行に回した資本金の利息で土地を購入する。銀行は、この段階では支店を設置せず、市中から資金を集めない。不動産業からの資金で流通業の需要は賄えるからだ。資本金が少ないハードモードだと、銀行店舗は最初からほしい。

70年代末の様子は以下の通り。

1879年 流通業
1879年 流通業


現時点での流通業の負債は気にしなくていい。80年代に入り、山手線・中央線が開通すれば、出店攻勢のために、いくらでも借金したくなる。売り上げは一気に拡大する。

1879年 不動産業
1879年 不動産業


不動産業の受取利息は、土地を買い込んでも大部分余る。それをひたすら預貯金へ再投資。明治時代はこれでインフレに対抗できると思う。

1879年 銀行業
1879年 銀行業


現在のところ銀行は店舗を持たないネットバンク。不動産業の預金をそのまま流通業へ中継。

1880年代

1880年
1880年


山手線と中央線が開設される。冒頭で用意した資本金で、最初に山手線を買収する。中央線買収には、山手線からの利益と市中からの資金をあてる。銀行支店を開設するのだ。

店舗の更新費用を考慮して、銀行の出店は年1軒に止める。まず79年に1軒、80年81年にそれぞれ1軒ずつの計3軒。銀行店舗の減価償却期間は20年である。

1889年 銀行業
1889年 銀行業 (しかし銀行法的にこの状態は正しいのだろうか)


銀行の資金は、まず中央線の買収につぎ込み、それが終了次第、流通業に回す。そもそも支店3軒だけでは、この時期の資金需要を完全には賄えず、中央線の買収は数年がかりである。しかし、明治後期には逆に資金需要が消失。3軒でも持てあますことになる。今回は3軒で戦前を切り回すことにした。過去のプレイでは、5軒でも切り抜けることができたが、相当苦しい思いをした。

1889年 鉄道業
1889年 鉄道業


山手線への車輌設置は、初年度に3両。翌年には複線化して1両。中央線は初年度に3両でこれで黒字化。鉄道業は最初からまとまった利益を上げてくる。これらの資金は次なる買収案件に使われるため、負債の返済は考えない。

1889年 流通業
1889年 流通業


一方の流通業は中央線買収の煽りを喰らい、資金需要への対応不足のため、しばらく出店できないフラストレーションがたまる。銀行に余裕がない。

1889年 不動産業
1889年 不動産業


不動産業の情勢は前年に同じ。

1890年代

1890年
1890年


総武線の錦糸町〜市川間、国分寺線が開設。それぞれ初年度に1両配置。既存路線にも延長計画が持ち上がってくるが、常磐線への延長だけは今回は取りやめた。前回延長したとき、常磐線と連動する山手線の経営が不安定になってしまった。これは何か手違いがあったのかもしれん。

1899年 鉄道業
1899年 鉄道業


延長は旅客需要を増やすので、対応が必要。目安としては利回り10パーセント前後の路線を延長する場合、車輌を1両追加。20パーセント前後だったら追加の必要はないだろう。

1899年 流通業
1889年 流通業


1899年 銀行業
1889年 銀行業


90年代は、80年代に比べると鉄道の資金需要は少なく、また既存の路線からの収益もあって、流通業に資金を融通しやすい。流通業自体も80年代に比べれば資金需要はやや収まってくる。90年代一杯をかけて、店舗を拡大できない流通業のフラストレーションは解消されてくる。

1899年 不動産業
1889年 不動産業


不動産は引き続き、土地購入と受取利息再投資。

1900年代

1900年
1900年


京急の品川〜神奈川と東武伊勢崎線が開通。車輌の初期配置はそれぞれ1両のみ。路線延長にともない、中央線に1両を追加し当初は問題なかったのだが、数年後に利回りが悪化して、追加車輌を撤去した。このあたりの挙動はよくわからない。

1909年 鉄道業
1909年 鉄道業


この年代の最大のイベントは、1906年の鉄道国有法制定である。山手線・中央線・総武線が強制売却となり、鉄道業の資金需要が皆無になる。流通業も、自前で資金需要に対応できる利益を上げ始めている。膨張する市中からの預金は、行き先を失ってしまう。

1909年 銀行業
1909年 銀行業


国有化で振り込まれる莫大な売却代金は1910年代から始まる私鉄開設ラッシュのためにリザーブ。それまで銀行は膨張する預金を見守る我慢の時が続く。

1909年 流通業
1909年 流通業


流通業の負債はこの年代で完済する。銀行の貸出需要不足問題があるが、大正以降、震災や恐慌による売上の激減が発生する。負債があると売上の変動に対応できない。また、ここから敗戦まで、流通業の資金需要が銀行の融資を要するほど高まることはない。

1909年 不動産業
1909年 不動産業


銀行の山積み預金に対応するため、不動産業の預金は鉄道の国有化と同時にすべて引き上げる。これからは原資を崩して土地購入にあたる。

1910年代

1910年
1910年


新規路線は京成の押上〜船橋間、西武新宿線、京王線の新町〜府中・多摩川間。車輌はそれぞれ1両ずつ配置。業平橋〜久喜は1両追加投資。京急は2両追加して、既存の汽車を1両撤去。1910年代から鉄道車輌は汽車から電車に変わる。汽車の減価償却期間は20年で、電車は30年である。10年代に配置した車輌は40年代から順次更新せねばならぬが、本作のインターフェイスは、個々の鉄道車輌の耐用年数に関して何の警告も発しないので、ユーザーが手元で管理しないと、ある日突然、車輌が消失して路線が赤字になってしまう。流通と銀行の店舗についても、ダンジョンを方眼紙にマッピングするがごとく、こちらで更新時期を管理せねばならない。

1919年 鉄道業
1919年 鉄道業


10年代の半ばには、最古参の国分寺線の汽車1両が用廃を迎え、利回りが悪化する。しかし、これを電車で置き換えてしまうと、乗車定員の違いから大赤字になってしまうので放置するしかない。あるいは用廃を見越して、まだ汽車が配置可能な00年代末に1両追加しておく手もある。

1919年 流通業
1919年 流通業


流通業の建造物は10年代から百貨店とホテルへ。百貨店7軒、ホテル4軒ほどがこの年代の収容限界。これらの資金需要が一巡する10年代末には、田園調布開発のために、銀行へ余剰の資金を向ける。20年代の流通業は資金需要に乏しい。一方で、田園調布開発と私鉄開設ラッシュのため、不動産と鉄道からの資金需要は膨張する。

1919年 銀行業
1919年 銀行業


来る20年代の私鉄買収に備えるため、銀行は債務超過寸前まで鉄道業に貸し付け、その後は、田園調布開発を見越して預金を積み上げる。

1919年 銀行業
1919年 銀行業


不動産業は引き続き原資を崩しつつ土地購入。

1920年代

1920年
1920年


20年代は鉄道拡張のピークである。これ以降、新規路線の開設はほぼなくなり、鉄道業の資金需要は主として既存路線の延長や車輌追加・複線化等の設備投資から生じてくる。鉄道業は次第に銀行へ依存しなくなる

1929年 鉄道業
1929年 鉄道業


新規開設路線は、東武東上線、西武新宿線、小田急、東急東横線。地下鉄銀座線の上野〜浅草。不動産業の需要もあることから、銀行3店舗では、充分に鉄道へ資金を回すことはできない。まず初年度に東横線と新宿線を買収し、それが軌道に乗る3年後に、小田急と東上線を買収する。

銀座線を除いたそれぞれの路線には、まず買収とともに1両配置する。翌年は赤字になるのだが、更に翌年にはわずかに利回りが好転する。そこでもう1両車輌を追加して、3年後にようやく黒字を迎える。銀座線は従来通り、1両配置のみでよい。

1929年 流通業
1929年 流通業


流通業は引き続き自前で資金需要に対応可能である。20年代後半には鉄道と不動産の資金需要が収束するので、銀行から資金を引き揚げる。30年代からは好況が始まり、流通業の資金需要は戦前のピークを迎える。

1929年 不動産業
1929年 不動産業


東横線買収の翌年に、田園調布開発の案件が入る。市中と流通業からかき集めた10百万円を不動産業に貸し出し、翌年からはその利息分を補填するために、毎年不動産業に資金がつぎ込まれる。それから7年後、翌年債務超過確定となったところで、開発完了の知らせがとどき、100百万円ほど振り込まれたのだった。じつにイヤらしい。

1928年 田園調布工期末期の不動産業 債務超過寸前
1928年 田園調布工期末期の不動産業 債務超過寸前


この資金の使いどころは悩ましい。戦前に買収可能な土地をすべて購入しても、半分ほど余ってしまう。戦後に持ち越すと、インフレですぐに消尽してしまう。銀行を通じて他の業種に当てようにも、後は戦後まで大した需要があるわけではない。

1929年 銀行業
1929年 銀行業


20年代末の銀行は、不動産業からの借金返済により、一時的に預金が飽和している。これらはすべて鉄道業に吸収させる。鉄道にも至近に莫大な資金を要するイベントはないのだが、ほぼ首都圏の私鉄を手中にして大東急化したため、資金吸収に余裕がある。

1930年代

1930年
1930年


新規路線は井の頭線。これも初年度に1両配置して、2年後の利回り好転とともに、さらに1両追加のパターン。他に路線延長もある。この内、伊勢崎線と銀座線は延長をしても最初は車輌を追加する必要はない。銀座線は30年代半ばになって、旅客需要増大により利回りが悪化するので、そこで1両追加する。

1939年 鉄道業
1939年 鉄道業


10年代冒頭に配置した車輌は40年代頭で用廃となる。30年代末に車輌を追加せねばならぬ。伊勢崎線、京急、京成、京王、西武池袋あたりが該当路線となろう。特に京急は2両同時追加している。

1939年 流通業
1939年 流通業


来る40年代には一転して戦前最悪の業績悪化が訪れるため、流通業は引き続き負債を抱えないようにする。30年代の好況による資金需要の増加といっても、銀行に頼らず対応できる範囲にはとどまる。

1939年 不動産業
1939年 不動産業


不動産業に進展はない。新宿の拡張等で、購入できる土地はそこそこある。

1939年 銀行業
1939年 銀行業


市中から集まる資金は、需要はなくとも、戦後のインフレに備える意味で、吸収力豊富な鉄道に流し続ける。明治後半から落ち着かなかった銀行経営はようやく安定してくる。戦後の狂乱物価がすべてをリセットするので、むなしいといえばそうなのだが。

1940年代

1940年
1940年


40年代は前半と後半で様相が異なる。前半の鉄道業は不況の影響も新規の資金需要も少なく、経営の安定が続く。ところが、敗戦を迎えると同時に、インフレと旅客需要の増大のため、膨大な設備投資を迫られる。30年代から40年代にかけて銀行から流れ込んできた資金が、ここでようやく消化される。

1949年 鉄道業
1949年 鉄道業


40年代半ばの資金需要が解消されたら、逼迫する流通業に資金を回すためにも、鉄道業の負債は完済させる。インフレで40年代末には負債が端金に成り果ててしまうので、返済は容易。戦後の鉄道業は、苦しい場面も皆無ではないが、銀行の融資なしでやっていけるだろう。

1949年 流通業
1949年 流通業


40年代前半の流通業は統制経済の波をもろかぶりする。40年代に入るや、売り上げは半減し、さらに戦局が悪化するにつれて、3分の1に縮小する。特にホテルの落ち込みが酷い。これが後半になると、鉄道業と同じように、復活する投資需要とともにインフレが襲いかかり、資金不足に陥る。戦前では鉄道業が吸収していた資金を、今度は流通業へ流し込む。

1949年 不動産業
1949年 不動産業


不動産業の新たな開発案件が上がってくるのは60年代以降である。40年代一杯はまだ土地を購入するだけだが、50年代に入れば、そろそろ事業案に向けた資金の融通を考えねばならない。

1949年 銀行業
1949年 銀行業


敗戦直後から、1年に1店舗ずつ、銀行の出店を始める。狂乱物価によって気が狂いそうな資金が集まり心折れそうになるが、しょせんはインフレの見せる幻である。これらの資金はすべて流通業が吸収してくれるだろう。銀行の経営安定は、インフレ収束を待たねばならない。

40年代末には証券業が開業する。史実通りの値動きと保有株式を担保にした雪だるま式な融資が可能なため、証券業からも資金需要が期待できる。しかし、銀行店舗を局限する今回のプレイでは、流通と不動産の需要に応えるのに手一杯で、証券業を活用できたとは言い難い。

1950年代

1950年
1954年


新規路線は丸ノ内線。これが最後の新規開設路線である。

1959年 鉄道業
1959年 鉄道業


旅客需要の増大による利回りの悪化は、戦前は10年間隔で設定されていた。戦後はこれが5年おきに生じ、そのたびに設備投資の資金需要が生じる。50年代半ばには早くも利回りの悪化する路線が出てきて、車輌追加や複線化を迫られる。鉄道業の保有資金はしばらくの間、5年ごとに生じる設備投資でリセットされる。

1959年 流通業
1959年 流通業


40年代後半から50年代半ばまで、市中から集まる資金はすべて流通業に回す。50年代一杯の流通の資金需要はそれで賄えるだろう。

1959年 不動産業
1959年 不動産業


60年代初頭とその翌年に、不動産の事業案件が続けて入る。高幡台3100百万円と松原団地7400百万円。計100億余りの資金調達のために、50年代後半から、それまで流通業に流し込んでいた資金を不動産に向かわせる。現状の銀行の支店規模では、数年がかりでないと資金を用意できない。

1959年 銀行業
1959年 銀行業


50年代後半に至るも、年に1店舗の設備投資で銀行には余剰が出ない。50年代を通じて、出店は続ける。

1960年代

1960年
1960年


60年代初頭には、東武伊勢崎、東武東上、西武池袋、井の頭、地下鉄銀座線に車輌追加の整備投資が発生する。翌年にはふたたび、西武池袋に追加の需要がある。

1969年 鉄道業
1969年 鉄道業


これらの資金需要を乗り越えた60年代前半、積み上がる現金資金と、流通業の需要逼迫を考慮して、鉄道の資金の一部を銀行に回してしまったが、これは失敗だった。60年代半ばに、東武伊勢崎、東武東上、国分寺線、西武新宿、京王線、小田急、東横、京急の利回りが悪化。膨大な設備投資に鉄道業は危機に陥った。資金に余裕が出ているように見えても、80年代に入るまでは、鉄道業の資金を銀行に回さない方がよいだろう。

1969年 流通業
1969年 流通業


流通業は遊園地の開設が可能になる。冒頭で述べたとおり、遊園地の開設が事実上、本作のゴール。60年代一杯は、すべての資金を遊園地に注ぎ込む。60年代初頭の事業案をクリアして一服した不動産業から流通業へと資金の流れを変える。建設予定地である水道橋、練馬、百合ヶ丘には、他社の建設を妨害すべくスーパーの店舗を設置(すまん)。遊園地への注力のため、ホテル建造ラッシュが起こる60年代後半から資金需要を賄いきれず、他社に後れを取ってしまうが、遊園地完成の暁には巨大な売り上げが生じ、他社物件の買収も思いのままになるから、このへんはあまり心配しなくともよい。60年代で建造できたのは、後楽園ととしまえん。よみうりランドは70年代前半までかかった。

1969年 不動産業
1969年 不動産業


60年代冒頭の高幡台、松原団地に続いて、60年代半ばには洋光台1500百万円の案件が入る。 工期はそれぞれ5年間。洋光台開発の前提となる京急の路線延長は見落としやすいので注意。60年代は、戦前の田園調布のように、利払いをカバーすべく毎年銀行から融資が必要になる。土地の高騰で不動産業からまともな利益が出始めているから、戦前ほど神経をすり減らすことはない。後半には高幡台、松原団地が完成して、不動産業に裁量の幅が出てくる。負債を一部返済し流通業に回す。残りは、70年代冒頭の和光開発3000百万円に備えつつ、利払いの様子を見ながら、土地買収に当てる。

1969年 鉄道業
1969年 銀行業


60年代半ば、最初の遊園地建設に着工したところで、銀行の支店拡張を止める。計13店で打ち止め。銀行はようやく持続可能な状態に至っている。

1970年代

1970年
1970年


旅客需要の増大は、1965年と70年をピークにして収まってくる。

1979年 鉄道業
1979年 鉄道業


70年代一杯はまだ油断できないが、そろそろ設備投資を差し引いても、銀行へ向ける余剰が鉄道から生じ始める。

1979年 流通業
1979年 流通業


遊園地完成後、流通業はこれまで放置してきたホテルと百貨店の建造と買収に資金を向ける。資金需要がおおむね充足する70年代半ばには、負債を完済。直ちに銀行へ資金を流し込む。低金利の80年代に入れば、店舗を通じた資金調達がコストに見合わなくなる。それまでにどれだけ、調達コストのかからない流通業の資金を銀行に送り込めるか、時間の勝負になってくる。

1979年 不動産業
1979年 不動産業


70年代冒頭に、和光3000百万円の開発事業案。1972年に百合ヶ丘4000百万円。和光完成の翌年に所沢3000百万円。これで不動産の事業案は、90年代半ばの東京湾人工島まで間が空く。遊園地完成以降、銀行の資金はすべて不動産業に吸収させる。70年代末の時点では、不動産にそれほど吸収余力がないように見るが、80年代半ばからお祭りになる。

1979年 銀行業
1979年 銀行業


79年時点では、流通業からの急激な資金流入のため、一時的に預金高と貸出額のバランスが乱れている。しかし概ね、60年代と70年代を通じて、銀行には余剰が生じる。

1980年代

1980年
1980年


鉄道業から銀行へ資金流入を始める。毎年、流通から80十億円、鉄道から20十億円ほど。それを不動産業に流し込む。

1989年 流通業
1989年 流通業


1989年 鉄道業
1989年 鉄道業


60年代冒頭で配置した車輌が90年代頭で用廃を迎えるので注意。

1989年 鉄道業
1989年 不動産業


前回プレイ時、バブル中の不動産業は、地価高騰と資金の供給不足のため、戦後初めて黒字化する事態に至った。今回は、利益予測と金利支出の差が2倍程度に狭まるところで終わった。

1989年 鉄道業
1989年 銀行業


低金利のため銀行店舗はすべて赤字化している。もし、資金のすべてを店舗を介して市中から調達していたなら、銀行は赤字になっている。しかし今回は、流通と鉄道からの資金流入によって、総預金高1058十億のうち、市中調達資金は288十億円に過ぎない。店舗が赤字にもかかわらず、今回は銀行の黒字化に成功したのだ。

1990年代

1990年
1990年


京葉線が開通。JRなので買収は不可。同時に開設される舞浜へ遊園地とホテル5軒を建造。

1999年 鉄道業
1999年 鉄道業


90年代半ばにも多量の車輌更新が発生するので注意。

1999年 流通業
1999年 流通業


90年代で頭を悩ますのはグループ全体の資金需要の不足である。90年代半ばの東京湾人工島(黒川紀章?)の事業費は35十億円。90年代は、毎年20十億円ほどを流通業から流し込んでいるので、この事業費は端金にすぎない。そもそも、3500億では人工島どころか東京湾アクアラインすら無理でなかろうか。

1999年 不動産業
1999年 不動産業


資金の需要不足に応じて、銀行支店を廃止し、グループ企業からの資金を引き揚げ、預金高を調整せねばならないだろう。ただし、ゲーム期間は残り十年。そのまま不動産へ流し込んでも問題はない。1992年発売の本作では、バブル直後に一時的な不況が来るものの、そのままデフレに落ち込むことなく日本経済は成長を続ける。不動産業の資金吸収余力も膨張を続ける。

1999年 鉄道業
1999年 証券業 全株取得済み


金余り対応のため、バブル崩壊後の大底から証券業へ多額の資金流入も試みた。結果、90年代後半には売買可能な株式をすべて買い占める事態に至った。吸収できたのは1400億ほどでしかなかった。市場規模が思ったより小さい。

1999年 銀行業
1999年 銀行業


最終的な銀行の預金残高は3兆円で、地銀中堅行クラス。全駅に出店したとしても、黒字を維持できる利益が出ている。しかし、集めた金には行き場がないのである。

2000年
2000年 東京湾人工島 資産プラス3兆円


2000年冒頭に人工島が完成してゲームは終了。90年代の金余りがフラストレーションとなってキャバクラへ繰り出すような高揚感はない。

結び

宿命論的なイベントの再現性にこだわった本作は、その代償として、プレイヤーの行動が環境を変えていくような拡張性に乏しい。正確に繰り返されるイベントの中で試行錯誤しながら、徐々に最適解に近づいていく楽しさは、シミュレーションというよりもAVGのそれに近いのかもしれない。

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更新履歴

  • 2013/09/15 第一稿


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