映画感想 [2301-2400]

 監督:リドリー・スコット 製作国:アメリカ

アメリカン・ギャングスター  各々のくやしさに思想の裏付けがあり、彼らの啓蒙思想は道具や振舞によって可視化されている。デンゼルとラッセルは思想的に互換するから、序盤でデンゼルの課題が解決しても啓蒙が侵されたくやしさはラッセル組に継承される。思想を共有しながら利害が相反する課題がクリアされたとき啓蒙は具体的な形となり、それまでのストレスは邂逅のタメとなる。

 カルロス [1991]
 監督:きうちかずひろ 製作国:日本

カルロス  音楽的に肉体を使役するサイコの人間像が、春川ますみや成瀬正孝といった職業的役者陣と絡めば、軟体のなめらかさを委縮させてしまう。誇張依存の辛みは竹中の視点に筋を憑依させる展開とメタにリンクするが、他人の演技に統制され成形された竹中の軟性はもはや序盤のサイコ像から大きく逸脱している。ますみん一家の顛末が効いたとしても大仰な反応はらしくなく、それまでのサイコ小芝居が矮小化する。

 RRR [2022]
 監督:S・S・ラージャマウリ 製作国:インド

RRR  最初から共通している利害が人を追い込む義理の仕込みを無効にしている。感情の裏打ちを失っている武力は、英国文官陣のサイズの合わない衣装のようにフワフワと滞空し、路上に撒かれる釘から始まって棘の鞭にエスカレートする無感情の暴力を滴らせる。総督婦人アリソン・ドゥーディは純粋暴力に最も憑依され、マンガというには闇が深すぎる加虐に走る。

 青い山脈 [1963]
 監督:西河克己 製作国:日本

青い山脈  芦川いづみの不感症を前にした二谷英明は顔を張られたという曖昧な物証に頼るしかない。感情は自らの外化のためにラヴコメ的スキンシップに邁進し、藤村有弘のプライヴァシーを侵害する。その今から見ればドン引きの顛末は失恋者南田洋子の傷心と共鳴する。高橋英樹は海が好きだと咆哮して感情を空間に託し、あらゆる人々の喜怒哀楽を縫合する。

 監督:シアン・ヘダー 製作国:アメリカ・フランス・カナダ

コーダ あいのうた  災厄に応じてコロコロと怒り泣き歪むお顔が、エミリア・ジョーンズのアイドル化をいよいよ甚だしくし、階級脱出劇はますます嘘くさくなる。代わりに課題として浮上するのは笑顔で人の足を引っ張る恐るべき母の自立だが、娘のステージが動かすのはすでに自立している父である。母の性質は入試騒ぎの裏で人知れず改変され、その自分のなさが不気味な後味となる。

 監督:マーティン・スコセッシ 製作国:アメリカ

レイジング・ブル   キャシー・モリアーティへの猜疑はヤクザ絡みで発動するように見えるが、ペシが猜疑心に呆れるように、ヤクザによる社会化の圧を逸らす処方になっている。スコセッシ節の人の内面に深入りしない唯物論は、モリアーティの内面を隠し彼女のサディズムを加速させ、デ・ニーロの肉体には玩具を弄するように改変を施し、役者根性の余波が芸人化という不思議な顛末を導く。

 監督:白石晃士 製作国:日本

戦慄怪奇ワールド コワすぎ!  ポストコロナの風に吹かれ自嘲する昭和のモラルは市川の運動神経に政治的に許容できるセクシャリティを見出し、どつき夫婦漫才がセックスのアイロニーとなる。ループで前に進まない話は時間の滞留に赤い女を抑留するばかりではなく、女の拳にうれしそうな苦悶の声を上げる工藤の性癖の歪みを実体化し世界崩落の序曲とする。

 監督:マット・リーヴス 製作国:アメリカ

THE BATMAN -ザ・バットマン-  貴族の自罰感情が、関与する人々の辛みを無効化する情念のブラックホールとなる。ペンギンのカーチェイスは意味をなくし、文弱をアピールする割には逞しい下顎部だけが確かな物証として残りキャットウーマンを骨抜きにする。人々は個々の身の上話に没頭するしかないが、自閉的交錯の緩さは坂元裕二のような未練がましいスケベ心を交歓させながら、災害を援用して社会不信の解消を試みる。

 監督:デヴィッド・リーチ 製作国:アメリカ・日本・スペイン

ブレット・トレイン  偶然の死に耐えられない男は因果律を仮構する。仕組まれた必然に報いるべく偶然はブラピに憑依して、人体と物体を浪費しながら己の事物化を図る。偶然とは通俗の別称である。憎悪が少女に放流先を見出せば、通俗は類型的な個々の辛みをコテコテだからこそ簡単に審美化できてしまう。憎悪が必然への応報へ観念化されたとしても、着ぐるみと蜜柑がポエジーにそれを事物化して望ましい標的に導く。

 監督:ヴィクター・フレミング 製作国:アメリカ

風と共に去りぬ  幼年期が強制終了しても恋愛ファーストがつづく錯誤は、事を郷愁として扱う政治的背徳に苛まれた無意識の産物だ。劣化した成熟は時にコミックリリーフとなりながらも、メラニーの聖性が夫婦漫才をついに恋の焦らしへ精製する。が、パトリオシズムが女の失意を包摂する脈略には映画の文体は非対応である。

 監督:熊切和嘉 製作国:日本

658km、陽子の旅  菊地凛子は生体として逞しい人だ。漲る活力は観察しがいのある挙動を全編に渡ってもたらすが、完成体だから達成されるのは成長ではなく野性化であり、本来の自分に戻ったにすぎない。完成された自分が行うのは扶助を与えた市井の民を聖別していく旅である。高速を往来する人々を類型化していく強化人間の主観こそ彼女に聖別の働きを与えている。

 監督:渡辺邦男 製作国:日本

明治天皇と日露大戦争  英雄的な挙動しかできない人々から微細な感情を見出すために、距離感のある叙法がアラカンの巨顔を誇張しストレスの兆候を精査する。この肉体主義は田崎潤の頸部を胴体に陥没させる。クロスカッティングが織り込む、道幅をスケールダウンした銀座通りと二重橋がすべてのような小宇宙に没入させるのは御製のリズム感。

 監督:ナヴォット・パプシャド 製作国:アメリカ・ドイツ・フランス

ガンパウダー・ミルクシェイク  女権に下駄を履かせる便利図書館と非武装ダイナーは集団的母性で子どもたちを拘引する。3世代に渡る犯罪者の再生産は孤立する父権による相対化を一蹴して児相案件の範疇を越えていく。

 監督:平山秀幸 製作国:日本

太平洋の奇跡 フォックスと呼ばれた男  収容所と自在に内通する段階に至っては竹野内豊は目的を見失っている。当人に考えがないから米側は尻尾をつかめなくなる。異質の叙体を統合するディレクションの不在はこの失調の原因なのか結果なのか。ツンツンしてカワイイ井上真央と唐沢寿明がかろうじて筋の外郭となるが、ひとりマンガのような顛末を迎える阿部サダヲの類型力に制圧されて終わる。

 監督:アンドレイ・タルコフスキー 製作国:ソ連

アンドレイ・ルブリョフ  技術職の生来的な劣等感が社会的敗戦によって励起した。ストレスとは絶縁した意識のない動物たちとニコニコなタタールらがストレスを鋳造する鋳型となり、管理職の修羅場をエスカレーションさせる。納品の圧に敗れ過眠に陥る少年と叱咤するオッサンの下士官的挙措。同族の孤絶を観測して男は職場放棄の私情から立ち直る。

 監督:阪本順治 製作国:日本

一度も撃ってません  立場上、常に筋の発火点となる岸部の周りにイベントが堆積するばかりで、石橋は岸部と実際にリスクを負う妻夫木に寄生しその間で埋没している。彼の人生自体が大楠道代に寄生しているのだが、ナース井上真央の等閑視にその辛みを抽出されつつ、ようやくリスクを負う役割が回ってきても、堅気に対する酌量に終わってしまう。

 監督:行定勲 製作国:日本

リボルバー・リリー  演者の性質に品質を左右される叙体の素直さが、古川琴音に少年が絡むと性欲の悩ましさを的確に抽出し、この感性こそ亡夫を筋の支点に据えるのだが、彼の正体はトヨエツなのである。演者が劇画の台詞を言えるのなら絵は安定し、そうでなければどのサイズで被写体を捕捉すべきか確信がなくなる。カラコレの入った質感だけは映画の自信に満ちている。このむず痒さがトヨエツ的なのである。

 怪物 [2023]
 監督:是枝裕和 製作国:日本

怪物  大人たちのストレスを捕捉し、モブの女子児童にことごとく成熟した挙措を取らせるのは、それ自体がすでに安藤の家族観に汚染されている類型的な価値観である。欲望と社会不信がないまぜになったその理念優先主義は、少年たちが被るであろう不利益を過大に見積もる。露わになる全容に比例して事態は絵空事に向かいビッグクランチの世界像を模する。

 監督:井上雄彦 製作国:日本

THE FIRST SLAM DUNK  微細な日常芝居をやると、レタッチという名の人力シェーディングの質感がリアリズムのモーションと相容れなくなる。アニメ屋はリソースに不足してモーションに支配を及ぼせず、ブラコンの機微をリアリズムで捕捉する際には構成の操作に依存して筋を細分化させる。各人の事情で分割される試合進行がブラコンの重さを受け止められないのだ。中盤で回想が一段落して山王のエリーティズムと花道の今そこにある危機が時制をようやく凝集し得ても、まだまだブラコンを引っ張るのであれば、試合時間の水増しに見えてきても仕方がない。

 監督:マイク・ミルズ 製作国:アメリカ

カモン カモン  ホアキンの取り組む課題が甥のやや特異な性格に根差すのなら状況を普遍化できないが、作中で最も予後の不安な健康問題が発火するのは意外な場所である。父子の神経生理に気をやらせる誤誘導が効いている。メタボ腹ひとつで映画を成立させる彼の肉体主義は身を呈して甥に成熟を迫り、肉体という物証が神経生理を圧する意味で事を一種のスポ根に帰結させる。

 監督:五所平之助 製作国:日本

煙突の見える場所  時折爆発するホームドラマには場違いなレイアウト主義の冷たさは関千恵子や田中春男ら境界人を容赦なく怪物にする。劇画化は育児ストレスとの混線に過ぎないにしても、赤ん坊は淡々と大人たちの愛欲を交通整理し、高峰と芥川比呂志をラヴコメになだれ込ませる。

 さがす [2021]
 監督:片山慎三 製作国:日本

さがす  犯罪扶助の動機には佐藤二朗と清水尋也の両者に一定の合理性はある。にもかかわらず、残る違和感は何なのか。伊東蒼と清水の遭遇は偶然ではなかったのだが、偶然の印象は去りそうもない。死に向き合う人々の挙動が劇画のようにカジュアルである。筋は劇画に違いないが、こちらに心構えがないために佐藤のガンギマリがあり得なく見える。森田望智に妻が投影される件で劇画はそれに値する表現に達する。伊東がすべてを把握しているオチでマンガに戻ってしまう。

 監督:チャド・スタエルスキ 製作国:アメリカ

ジョン・ウィック:コンセクエンス  全編に立ちこめる霧のような感傷は、ドニーの扮装に由来するノスタルジーにすぎないのか。体のキレが人々から貫録を奪い続け、氷結した時空に成熟を見失った男たちは大階段を上っては転げ落ちる。破損した時空はモンマルトルの夜明けを合成丸出しにしながら、キアヌの不自然に細い骨相とビル・スカルスガルドのストレスフルな無精髭に肉体的痕跡を残す。芝居が杜映画丸出しのドニーは自己完結のあまり別の宇宙を生きる。この体系の強さが階段ループからキアヌをサルベージする。キアヌの方はオチが死に場所探しだとすれば手の込んだ手続きの意味が解らなくなる。筋の作法に適うドニーの顛末を引き立てるばかりだ。

 監督:ロバート・ハーメル 製作国:イギリス

カインド・ハート  ことごとく後継者が資質を欠くとなれば、デニス・プライスの性能ならば企みを画さなくとも自ずと機は熟したと思われる。後継者たちの個性を誇張する苛烈なメリトクラシーは、能力を当人から自律させ発揮させずにはいられない。シビラに金色夜叉しないのは不可解だったが、男は同類を見抜いていたのだった。オチも、デニスが有能すぎるから、選択の課題をうまくかわしたとしか見えなくなる。

 監督:田坂具隆 製作国:日本

陽のあたる坂道  千田是也一家の気持ちの悪さが一個の怪物を育んだ。これに自覚的な物語は、クズ情報の開示が始まれば、小高雄二の長い顎に難なくサイコ的風采を付与する。サイコとの遭遇という受け手にも共有できるリスクが三角関係のハラハラを充実させる。

 監督:ジャスティン・チョン 製作国:アメリカ

ブルー・バイユー  犯罪に飛躍しても大して重大視されない時点で社会小説として終わっている。出生の起源に向かう高揚や元夫の変貌を軸としたオッサンたちの連帯といった劇画ならではの展開は、娘を男たちの世界への闖入者に見せてしまい、社会批評とは真っ向から対立する。女の動物的勘で彼女はこの構図を把握して恐怖するのである。

 波止場 [1954]
 監督:エリア・カザン 製作国:アメリカ

波止場  パンチドランクによって言語化できなくなったストレスとは何か。牧師たちの尽力で発見された去勢された男の失意は克服されるどころか、波止場の男たちに遍く感染し、リー・J・コッブすら荷主に頭が上がらなくなる。食物連鎖の非情な構造が辛みを汎化する。

 恋は光 [2022]
 監督:小林啓一 製作国:日本

恋は光  男の幸せを願う女は文系の邪念から男を救うのだが、自分は恋と憐憫の区別をつけられなくなる。そこに端を発する恋の光が見えない問題を物語自体は把握していない。この無意識にたどり着くために、告白を試みる男は長々と客観視の作業を強いられ、女と受け手を焦らしプレイにさらす。

 破れ太鼓 [1949]
 監督:木下惠介 製作国:日本

破れ太鼓  経済の利害は時代を越えるために、阪妻の辛みだけが伝わってくる。彼の人生に話が帰着するに及んで、辛みは逆流して阪妻は昭和のモラルを越えていく。彼は女中の病気に偏見を持たないのだ。モラルと利害の互換は、経済の利害から最も遠い木下忠司が遊民ゆえに阪妻を誰よりも理解している逆説のオチを導く。

 監督:アレックス・トンプソン 製作国:アメリカ

セイント・フランシス  同情と共感に誘導する技法は共通の敵を次々と投入し好悪の間合いを操作する。外敵は常にマウントや政治を抑えきれない類型的な姿で襲いかかる。観念に対抗し和解を促すのは、尿漏れや生理といった器質の圧である。母を拒み続ける乳児という器質そのものが人情交差点に鎮座する。

 監督:ロブ・ライナー 製作国:アメリカ

スパイナル・タップ  状況の裏付けのなさに由来する笑いが、迷路のようなバックステージをさまよううちに、80年代を文化的閉塞物として捕捉する。批評精神の発揮は、終わろうとする幼年期の古典的な辛みによって状況を迂遠に裏付け、拒みがたいホモソーシャルのうれしさと構成があるうれしさを筋に混載する。

 監督:二宮“NINO”大輔 製作国:日本

HiGH&LOW THE WORST X  猿山の闘争はセックスと不可分である。実家の太さでケンカする背徳に苦しむ物語は、校外の利害に意識的になるあまり、学外を抹消しついでにメスの気配を喪失してしまう。男の課題はすでに解決済みだったが、非ゲイアピールに取りつかれた彼らは友情の発覚を遅らせ焦らせ、合コンを巡ってはオーバーアクトを強いられる。

 裸の島 [1960]
 監督:新藤兼人 製作国:日本

裸の島  乙羽信子の給水スリラーを成り立たせるのは、期間工のような挙動で畑に注水する殿山の生産性パラノイアである。末期的シムシティのような限界状況が予見する天候不順・病気・事故のリスクと、舟を漕ぎ桶を運ぶ乙羽の肢体のセクシャリティが、宿禰島を一大アトラクションにする。リスクは島の限界経済に差し障らないポイントを発見し発動。島の地表に投地した乙羽の放つ性の気配に全く動じない殿山のダンディズム。

 ベルファスト [2022]
 監督:ケネス・ブラナー 製作国:アイルランド・イギリス

ベルファスト  大状況が、移動すれば終わってしまう課題に矮小化される。ヤクザ・入院・滞納といった日常の脅威は段階を踏むが、父のキャンブル癖は世界の果てまでついてくるだろう。質感の朝ドラのように明晰な解像は彩度と釣り合わず、やたらと浸透してきて街頭を荒廃させない行政が、ハイヌーンの援用を状況にマッチしないただの雰囲気に終始させる。各種徒労感に圧迫され、祖母はバスの中でシャングリラを想う。

[2201-2300] / [2401-2500]