映画感想 [1801-1900]

 監督:井上昭 製作国:日本

眠狂四郎 多情剣  屈服のよろこびを消化できず恐慌する乙女心の心象が、江戸近郊をパッチワークのような魔空間へと歪めていく。失恋の趣き濃厚な顛末とやっと恋ができたという淡い達成感を、雷蔵の助平顔と戸田皓久の笑わない目が祝福する。

 監督:セドリック・クラピッシュ 製作国:フランス・スペイン

スパニッシュ・アパートメント  異性の同性愛に際して生じる口惜しさが同性愛者に調教されることで解消してしまうリベラリティと調教の成果を実践に移してしまう科学精神の合併が、その器用さのあまり四海兄弟を訴える道徳教材の枠にはまってしまう。

 エリジウム [2013]
 監督:ニール・ブロムカンプ 製作国:アメリカ

エリジウム  病魔の浸潤がかえって痛覚を無効にするヤケクソじみた難病超人に見る、ジミー大西の匿名性がもたらした肉体的寛容。罹患してますます盛んになる猟奇ポルノにジョディ・フォスターというこれまた難物が投じられ炎上する乱戦で目的を見失った村役場のお家騒動。

 監督:ウォン・カーウァイ 製作国:香港・フランス・中国

マイ・ブルーベリー・ナイツ  ジュード・ロウで金城武の形態模写ができる感動と笑い。ストラザーンに至っては発声しているうちはストラザーンだが、黙してしまうとたちまちトニー・レオンに外貌が堕ちてしまう。これはほぼ文化侵略であり、言語共同体を容易く超えてしまう類型の強さに打たれる。90年代というこの文明の一側面から逃れるべく、ノラは南下を続けるのだ。

 監督:ジェイ・ラッセル 製作国:アメリカ

炎のメモリアル  ホアキンの人生を逐次的に俯瞰する構成を編集段階で解体してスリラーにしてしまった元々の不自然に輪をかけて、911からの感化を消そうと試みるほどかえってそれが出てしまう怪異さ。もはや事件が念頭にない受け手には、邦画のような公務員賛歌の顛末に戸惑うばかりである。

 監督:レティシア・コロンバニ 製作国:フランス

愛してる、愛してない...  天然の迫力がその明朗さゆえに受け手の憎悪から逃れようとする。事が人生の対比に収斂されることで、人並みに生きられなかったという障害の臨床例にオドレイ・トトゥを落とし込む。矯正の未達が意気地の哀切と何かが一貫したという安堵をもたらすのである。

 薄化粧 [1985]
 監督:五社英雄 製作国:日本

薄化粧  80年代邦画が50年代目前を叙述するディスプレイメントの質感にはSF映画のような時代を見失わせる遠近感がある。その何処にもない国を触知させてくれるのは、川谷拓三が目撃する場末の苦悶なる普遍である。

 監督:ウディ・アレン 製作国:アメリカ

メリンダとメリンダ  甲斐性の釣り合いが取れていない異性がアプローチを試みれば言動に力みが出てくるのだが、悲劇の方が真面目だけにその力みに喜劇の諧調が現れてくる。一方で喜劇のカリカチュアはゴージャスな共和党員のようにもっぱら生化学に依存している。

 間諜X27 [1931]
 監督:ジョセフ・フォン・スタンバーグ 製作国:アメリカ

間諜X27  一様に鼻の下を伸ばすマルタイらの個別化を図るべく、ディートリヒの視線は猛烈に遷ろう。男の選別はランダムにしかならないのだが、女の自棄は事に少年の冒険じみた陽性の刹那さを与え、その痛ましさは頑固な上官セイファーティッツや青年将校といった個性著しい童貞連に究極的には認知され共有される。

 乾いた花 [1964]
 監督:篠田正浩 製作国:日本

乾いた花  小娘に屈してしまうオッサンという性愛の弱者に池部良の生来の生硬さを援用するのは常套としても、加賀まりこの偉大なる天然はそこにとどまらず、池部から女性的なセクシャリティを引き出してしまう。

 甘い人生 [2005]
 監督:キム・ジウン 製作国:韓国

甘い人生  女の愛想笑いを誤解した童貞の暴走が組織の潰滅を試みるまでになった段階で、この話の客観性は事態をコントとして叙述せずにはいられなくなる。かかる含羞はだからこそ、女の天然の魔性に取り込まれた男の痴態の補足に成功して笑いと催涙をもたらす。

 監督:ダン・ギルロイ 製作国:アメリカ

ナイトクローラー  ウィル・スミスのやりたがるような自己啓発映画への揶揄が、強盗殺人現場撮影の件で時間切れスリラーの型によってサイコパスへの反感が克服されてしまうあたりから本気印になってくる。サイコパスにサイコパスをぶつける中和作用や副官リズ・アーメッドの顛末が絡繰り自体の美しさを呈した結果、パロディではなく本当にサクセス・ストーリーの無難な後味を獲得する。

 刺青一代 [1965]
 監督:鈴木清順 製作国:日本

刺青一代  自爆の巻添えを食らって花ノ本寿に憤りを覚えようにも、あまりにも躊躇のない自爆が人格喪失を予感させて、責任能力を負わせようがない。その特異な熟女趣味も相まって、自爆の手際の良さと迫力をただ観察する有様となり、重荷からの解放感は得られない。

 犬ヶ島 [2018]
 監督:ウェス・アンダーソン 製作国:アメリカ・ドイツ

犬ヶ島  動物の人権問題を突き詰めると愛玩化の否定になりかねないところを、そこはあえて逆行して、自らの本分を発見して受容するという価値剥奪の精神状態にむしろ高揚を求めようとする。この手の話題にこの手の舞台が援用されては、日本語話者にはつらい話になってしまうが、理念が空中分解するような不安は社会批評のつらさを緩和している。

 監督:マイク・リー 製作国:イギリス・フランス・ニュージーランド

ヴェラ・ドレイク  面の皮の厚さが善を容赦なく施す様を喜劇の間を用いて叙述している。事件発覚の間の悪いタイミングにしてもそうである。この着想は後半のリーガルサスペンスをどう受容すればよいか受け手に混乱をもたらしかねないものの、最後にはまたやってやるぜ的な逞しさに誤接続することで、筋を通したと思う。

 野獣死すべし [1959]
 監督:須川栄三 製作国:日本

野獣死すべし  仲代はこの時期の彼らしく何処を見てもおかしい。それを周囲が好青年だと扱うので、ますます同輩の無感覚の限度を試すような挑発的な作り込となってしまう。しかし、技巧的サイコパスの仲代よりも天然型の中村伸郎の方が余程恐ろしく、その怖さが仲代の劇画調を地上に定着させている。したがって、伸郎の爆死には立脚点が損なわれた喪失感が伴われるとともに、構造的な寄る辺の消失が仲代の孤立した生き様を捕え始める。それが実効的となるかどうか同情のこもった緊張がもたらされ、機内食を貪る溌剌さがやがて哀しくなるのである。

 ペンタゴン・ペーパーズ / 最高機密文書 [2017]
 監督:スティーヴン・スピルバーグ 製作国:アメリカ

ペンタゴン・ペーパーズ / 最高機密文書  拘束具の抑圧に呻きと鼾を漏らす怪熟女の湿性の官能を余所に、何も考えてない男たちは事務机の間隙を疾駆して、乾いたサバンナの原始記憶を蘇らせる。

 監督:山田洋次 製作国:日本

男はつらいよ 寅次郎かもめ歌  博のマイホームに絡んで人々の甲斐性が発現する様が具体的で色彩に富んでいるからこそ、気づけば夜学に浸透している寅の過程のなさがぶきみなのだが、何もない男の穿つ虚空に伊藤蘭の瓜実顔が蒸着して実体を与えることで、その淫靡が匂い立ってくるのだ。冒頭夢の人身供犠の意味が氷解されるのである。社長の頭皮に絶海の孤島のように残置された頭髪の枝垂れ具合も破廉恥きわまりない。

 駅 STATION [1981]
 監督:降旗康男 製作国:日本

駅 STATION  大晦日の場末の飲み屋で高倉健と倍賞千恵子が黄昏る苦悶を味わいたく、20年ぶりに再見したのだった。しかし、黄昏るには不穏すぎた。東宝製70年代刑事ドラマに民子物をぶち込んだ暴力的な構成で、とらやにミサイルが直撃したかのような触感なのだが、それにしては違和感がない。これはなぜか。かつて中村雅俊という東宝刑事ドラマのアイコンのひとつがとらやを爆破していた。それを思い出したのである。

 サイドウェイ [2004]
 監督:アレクサンダー・ペイン 製作国:アメリカ

サイドウェイ  男の甲斐性が問題とされると、それほど未練を抱けるような異性とそもそもどうして一緒になれたのか不可解を禁じえない。ジアマッティに熱視線を浴びせるマドセンがわからない。しかし内実はない形式だとしても、受け手としては恋の焦燥には生理的に反応しないわけにはいかず、醜悪なオッサンらの暴飲暴食を観察する苦行が増感する。したがって、破局は解放であるのだが、そこから最終的に派生してくる、恋も自己実現も果たせなかった男の救済問題の解決はあまりにもおざなりだ。

 監督:ブライアン・デ・パルマ 製作国:アメリカ

カジュアリティーズ  今回はモリコーネの浪花節に増感された、ただでさえ大仰なデ・パルマ節で、状況がショーン・ペンとマイケル・J・フォックスの痴情のもつれとしか解せない。マイケルには鬼畜度を緩和させてしまうショーンもアレだが、マイケルの勇敢さもその好意への甘えに見えてしまう。

 監督:鈴木則文 製作国:日本

トラック野郎・望郷一番星  山田洋次の残虐なマドンナたちと違って、この島田陽子は他人の幸福に殉じる人間の悲壮な有り様を認知して、受け手にそれを知らしめるのである。では、どうすれば彼は救われるのか。野上龍雄脚本は社会の広がりを想えと訴え、その具現として表れるのが60年代戦争大作のような車列の物量である。

 監督:ジョー・ライト 製作国:イギリス

ウィンストン・チャーチル / ヒトラーから世界を救った男  史実の教科書的理解に基づけばダンケルクの成功で宥和派が失脚したことになるのだろうが、この話は虚構の地下鉄場面をでっち上げて、あたかもダンケルクの帰結が不明なうちに決断が行われたかのような印象操作をする。天恵ではなく人為を強調せずにはいられない英雄譚は、生体としてのチャーチルに着目するとともに、物語の及ぼす感化を絵巻物のような画面構成の内へドメスティカルに封じ込めようとする。

 監督:マルコ・ベロッキオ 製作国:イタリア

夜よ、こんにちは  夏休みの合宿が終わらないような、延滞した非日常が醸すフワフワがある。一方で老人のダンディズムに感化を見出したい自惚れた空想と、それを罰したい自己規制がある。夢想性を媒介として、これらの混乱を突き合わせるロベルト・ヘルリッカは自身の復体を街に放ち飄々と闊歩させる。

 監督:山田洋次 製作国:日本

男はつらいよ 寅次郎紅の花  もはやカットを細かく割っていられない現場の焦燥が期せずしてホラー映画の画面を構成する。冒頭の美作滝尾の駅舎の窓口に顔を出す寅。奄美で満男と遭遇するそれ。どちらもワンカットで彼は現れギョッとさせる。もはや亡霊であり、それが廃墟を彷徨うのである。亡霊は亡霊ゆえに四半世紀かかってようやく恋を客観視できる位置に到達し、リリーと奄美に帰ることができたのだが、その落着きは、どんな熱愛も成就すれば変質せざるを得ないと意識させることで、満男の恋には冷水になってしまう。

 監督:アキ・カウリスマキ 製作国:フィンランド

ハムレット・ゴーズ・ビジネス  ピルッカ=ペッカ・ペテリウスの胎児状の容貌がオウティネンの母性と反響するのはよいとしても、強運の限度に挑戦する属性の浪費が子宮に内包されるような手ごたえのなさとなってしまい、水子供養のような遣り切れなさが残る。モノクローム映画に突如出現するMSXの幼児的筐体がこれらの釣り合いのなさを要約している。

 真夜中の虹 [1988]
 監督:アキ・カウリスマキ 製作国:フィンランド

真夜中の虹  悲観しない人間の有り様の探求が彼らに課すのは、合理性に則った、ただ一つの解答であり、ベルトコンベアに運ばれるようなイベントの逐次的発現が叙述するのは、宿命に準拠することの、不安なまでな晴れ晴れしさである。

 マシニスト [2004]
 監督:ブラッド・アンダーソン 製作国:アメリカ

マシニスト  自罰感情を仮託された不眠という生理上の不快が逆流して、事を探求する意欲を妨げている。不眠だから不可解に遭遇するのは当たり前で、なぜ今さらおかしがる必要があるのかわからないまま、クリスチャン・ベールはハーレム作りに勤しむ。生理への依存は教習所の講習ビデオのような切実さを取り逃がしてしまい、ようやく不眠から解放されたという安堵のみが抽出される。

 監督:ラルフ・ネルソン 製作国:アメリカ

ソルジャー・ブルー  貸し借りの営みの中で男女それぞれの甲斐性が自然に醸成され、騎馬隊の挙動にはリアリズムで事象を裏付けたい欲求が窺える。しかしこれらの構造的努力はモンド映画の文法で撮られた修羅場を包摂できず、偉いのか偉くないのか、最後は何事もなかったように社会時評を悲恋の哀切に導いている。

 監督:岡本喜八 製作国:日本

ダイナマイトどんどん  戦略兵器たる北大路欣也の自罰感情にすべてが左右される清算的な状況こそ、この社会時評が糾弾す態度そのものではなかったか、という悪しき再帰性の局面が、田中邦衛の軟体動物のような投球フォームに官能的な撓りを与える。

 監督:スルジャン・スパソイェヴィッチ 製作国:セルビア・スウェーデン

セルビアン・フィルム  人格喪失の上での凶行であるから当人に責任はない。したがってそれはフェティシズムを昂じさせるに値する業かどうか心もとなく、むしろ技術屋の手際の良さが審美的感情を揺さぶる。オチもプロフェッショナル仕事の流儀に類するような美的経験をもたらす具合だから、劇伴の悲壮が野暮になる。

 天命の城 [2017]
 監督:ファン・ドンヒョク 製作国:韓国

天命の城  人類の厚生から遊離した中小企業の内紛と道徳的コミットメントを統合する努力は放棄され、共和主義への転向が短絡的に行われる。あの内紛は何だったのかという徒労のみが残り、宿命に耐えられない君主という寓意を満たすための内的一貫性が得られない。

 ヘアスプレー [2007]
 監督:アダム・シャンクマン 製作国:アメリカ

ヘアスプレー  才能が人の美醜を超える好ましさと社会時評が相容れない。あるいは、能力志向と差別是正の矛盾までは追及されず、ただミシェル・ファイファーの根性と恥辱が美的達成において突出してくる。

 ショートバス [2006]
 監督:ジョン・キャメロン・ミッチェル 製作国:アメリカ

ショートバス  開明でありたいと願う強迫観念が自己憐憫に至りがちで、事をミュージック・ビデオのような他人事の喧騒にしかねない。ただクローゼットの件では、かかる憐憫が異質の二人から共通の属性を見出し、男から負い目を引き出す手管を見せている。

 監督:上田慎一郎 製作国:日本

カメラを止めるな!  演出家が演技をすることで本音を出せて役者に報復しえたように、事象のトレスで人格の本質が顕れ、かえって自由になれてしまう。反復であり答え合わせである記述という営みが何ゆえ美的経験をもたらすのか。トレスすることでしか確信へと到達できないという意志の幻影とわれわれは出会うのだ。

 監督:スティーヴン・シャインバーグ 製作国:アメリカ

毛皮のエロス / ダイアン・アーバス 幻想のポートレイト  助平が人類愛をもたらしたとき、意図のなくなった女の活動は時に少年のような徳性の輝きを放ちながらも、やがて熟女の淫乱と区別がつかなくなる。ニコールに下水管の詰まりをDIYさせた方が余程背徳感を覚えた。

 監督:ジョン・マッデン 製作国:アメリカ・フランス

女神の見えざる手  社会時評にしてはキャスティングが遊び過ぎるという場違いな感じから、マーク・ストロングのアイドル映画と言うべき蠱惑が生じるのだが、社会時評がサスペンスに下駄を履かせる手段だと判明してその蠱惑が無効となると、今度はマイケル・スタールバーグの、困惑した池上彰を精緻に模倣した顔貌が輝きを増す。

 監督:リン・ラムジー 製作国:イギリス・フランス・アメリカ

ビューティフル・デイ  ホアキンの脱ぎっぷりのよさは露出狂というより、単身オッサンの生活感のなさがグラビア系イメージビデオのそれに接近してしまい、つまり脱いでいるのではなく脱がされているのであって、ホアキン自身戸惑っているのが実情ではないか。

 山猫 [1963]
 監督:ルキーノ・ヴィスコンティ 製作国:イタリア・フランス

山猫  舞踏会の各種イベントが人々を群体に落とし込むことで、哀感を誕生させている。徹夜舞踏会の加虐に苛むバート・ランカスターにクラウディアの地中海性顔面をぶつける食傷の極みも呼び塩となってランカスターを脱脂し、あろうことか彼を笠智衆化する。

 監督:小泉徳宏 製作国:日本

ちはやふる −結び−  雌の気を惹こうとして精進を重ねた結果、甲斐性がつきすぎて逆の意味で雌と釣り合いが取れなくなってしまった。野村周平が頑張るだけ広瀬すずから魅力が奪われる。こうなると精進の行く末自体に気をやる精神論に傾斜するのはやむ得ないのだが、腰が据わらないために敗北の受容といういまひとつの主題が敗北主義に見えてしまう。

 孤狼の血 [2018]
 監督:白石和彌 製作国:日本

孤狼の血  昭和テーマパークという趣のなかで、役所広司の両性具有的な立場が彼を宮崎アニメに出てくるような不可侵のヒロインに仕立ててしまう。このイージーモードが後半の遭難で逆に効いてくるのである。

 監督:デヴィッド・ロウリー 製作国:アメリカ

セインツ ー約束の果てー  ケイシー・アフレックの行状を美談調で捕捉する趣向が、美談調のままケイシーを疫病神にするアクロバティックを敢行。厄病は伝染してオッサンらの自滅を招き、堂々たる女難映画になるが、ここまで来てもずっと美談調のままなのである。

 監督:ポール・トーマス・アンダーソン 製作国:アメリカ

ファントム・スレッド  キノコオムレツが奇人同士が互いを識るという禅問答のような困難を克服する。ヴィッキー・クリープスはすでにキレている。相対的にダニエルがわれわれの常識に近づくのだが、予断がそこに仕組まれたのだった。女の調教はすでに受容されていて、ダニエルもアレだったとわかるや、受け手の感情が結びつける対象を失ったときに生じる、あの晴れがましい笑いが勃興する。

 監督:森田芳光 製作国:日本

阿修羅のごとく  これを黒木瞳のアイドル映画にせずにはいられないある種の魔性が逆に深キョンについてはその容貌の野趣深さを際立て、アイドルを見出すべきところに見いだせない背徳に苛みがある。フレームの端を掠るからこそ、存在を主張してやまない全盛期の長澤まさみの気を狂わせそうな容貌も不穏で、やがて人格を帯びるたばこ自販機のみが愛らしい。

 監督:パトリック・ブシテー 製作国:フランス

つめたく冷えた月  パトリック・ブシテーの荒廃した生活をどうするか。そういう話として始まり、相方のオッサン(ジャン・フランソワ・ステヴニン)を経由してブシテーを観察する趣向なのだが、ブシテーの誘う苛立ちを増感させるために、オッサンから善性の抽出が行われると、話法の転換に戸惑いを覚える。気づけば視点であるはずのオッサンを観察するよう誘導されてしまう。こんな薄毛のオッサンのアイドル映画でいいのか。禁忌にも似たうれしさがこみ上げる。

 狩人 [1977]
 監督:テオ・アンゲロプロス 製作国:ギリシャ

狩人  社会時評のリアリズムがしばしば脱柵して、演者の驚くべき薄毛率として結実するうれしさ。オッサンの深夜徘徊と盆踊りのくせにそれなりの稽古量を予感させる体のキレが徹夜明けの疲弊からエレジーを蒸留すると、社会時評のバタ臭さが消臭される。

 監督:池広一夫 製作国:日本

眠狂四郎女妖剣  毛利郁子の菊姫のキレ方には虐待美というセンスがあって、これがさまざまな現場を守るオッサンらに緊張の美をもたらす。雷蔵の性欲がいつもより控えめなために話は大いに乱調を来し、城健三朗が「次々と忙しいな」とメタ発言するほど常識外れのことしか起こらない。にもかかわらず誰もが粛々と怪奇に殉じていく。

 監督:シェーン・ブラック 製作国:アメリカ

ザ・プレデター  ボンクラ軍団が友軍の警備兵を殺すことでジャンル映画の禁忌が破られる。埋め合わせとして彼らが全滅するのは作法としてもその全滅が英雄扱いされるから混乱がおびただしい。かかるゆるふわ感は、偶然の形でオタクの変身願望が爆発してしまう最後のうれしい恥辱感とも通ずる。これはよかった。

 監督:アーマンド・イアヌッチ 製作国:イギリス・フランス

スターリンの葬送狂騒曲  本気印の美術と撮影では人の所作が喜劇になるはずもなく、ただ人間の手際の美しさが充溢している。イベント自体もブシェーミの勇気が試される教養小説のような居住まいの正しさで倒錯きわまりない。すべては真面目なのであるが、真面目ゆえにこの事態を喜劇として扱うほかはないのだろう。

 監督:ミヒャエル・ハネケ 製作国:フランス・ドイツ・オーストリア

ハッピーエンド  自裁で童女の気を惹くトランティニャンの邪念と未練に蔑みで以て答える童女のまなざしはミヒャエル・ハネケの自意識を露見させるが、この蔑みがまた何らかの勃興というか、邪念に堕ちることの心地よさとなるに及んで、実は性欲的には八方丸くおさまったのではないかと、満ち足りた気分になったのである。

 ラブレス [2017]
 監督:アンドレイ・ズビャギンツェフ 製作国:ロシア

ラブレス  景物映画の画面構成と齟齬を来す感傷的なカメラが社会時評の力みを隠さないために、少子化警鐘の公共広告になりかねない。それは本線の副産物として働くおじさんドキュメンタリーのような風体をももたらす。こちらの方は邪念がない分、素直に見られた。

 夏の終わり [2013]
 監督:熊切和嘉 製作国:日本

夏の終わり  三丁目の夕日の誇示を厭わない美術の迫力が江戸たてもの園のような箱庭の密閉感とガジェットの数々で以て、満島ひかりの性欲が自己劇化にしか見えないにもかかわらず、人々の人格が試されている感じを抽出する。野外に出ればこの三丁目の夕日が美術的に破たんせぬかとこれはこれで緊張を強いられる。

 眠れる美女 [2012]
 監督:マルコ・ベロッキオ 製作国:イタリア・フランス

眠れる美女  社会時評を踏み台にして方々でナンパが始まり、憤青派の娘の発情のもたらす反感でトニ・セルヴィッロへの同情が促される。枯れたオッサンらが浴場で恍惚となると、絵の質感が超ドメスティクな内容にまるで見合わない現代イタリア映画の宿痾に見舞われる。しかしながら、社会時評は誤誘導であって、人間の小宇宙探求に映画の達成が認められると、オッサンへの同情が活かされてきて、内容が美術情報量に土壇場で追いつくのである。

 監督:呉美保 製作国:日本

そこのみて光り輝く  容姿に恵まれ甲斐性にも不足しない綾野と池脇には課題が薄く、早速つがいになってしまう件は自然の営み過ぎて喜劇のような風体である。菅田将暉が問題になるのだが、この人の陽気さも記号的なほど誇張されて人の好意を惹きすぎるために将来が明るく見える。陽性の性格はそれ自体、鑑賞物として好ましく、また綾野との関係に不穏な想像を駆り立てたり、いや、競輪場の高橋和也なんぞ池脇に執着するように見せて実は菅田狙いでは、キャーと色々と余計な邪念で緊張が絶えない。

 やわらかい手 [2007]
 監督:サム・ガルバルスキ 製作国:ベルギー・ルクセンブルク・イギリス・ドイツ・フランス

やわらかい手  何かが爆発することをキャスティングが明確に教えてくれるために、やつし事のような才能解放のタメ動作が好ましい焦らしとなり、それが社会時評の文法で捕捉されるので喜劇調も甚だしく、次々と手管にかかる男らの喘ぎ声もヒューモアに花を添える。ただいったん才気が爆発してしまうと、緊張を絶やさない障害物の工夫が今度はただのストレスになってしまう。

 監督:ペール・フライ 製作国:スウェーデン

ストックホルムでワルツを  波乱のないところに劇化をもたそうとする構成の努力が劇中の人物を翻弄している。依存症や和解に概して段取りがない。娘に際して地道に発揮される夫や父菅田俊(キェル・ベルキビスト)の生活力だけが、総称的な筋の運びを押しとどめようと試みている。

 監督:マキノ雅弘 製作国:日本

日本侠客伝 関東篇  鶴田浩二の性欲が噴火の寸前で抑止され続け、その得難い快楽を当人が享受している。鶴田の漂流するナルシシズムに振り回される周囲はいい面の皮だが、文化的コンテクストの気まずい相違を盾にして、サブのみが独自のナルシシズムを自家開花させる酸鼻。

 私の男 [2014]
 監督:熊切和嘉 製作国:日本

私の男  浅野忠信の安定のサイコパス顔が初出ではとうぜん緊張を強いる。しかしこれが拾ったのが二階堂ふみというサイコであって、そこで円環は閉じられ後は両者が奇抜な振る舞いを競い合う大道芸となる。心象を持ち出されたところで、サイコパスだから共感の手掛かりがあるはずもなく、大道芸だからおもしろいのだが、大道芸を見たという感慨を超えられない。

 アポカリプト [2006]
 監督:メル・ギブソン 製作国:アメリカ

アポカリプト  お上り映画の体裁が未開への蔑視をある程度は満足させてくれるも、お上りという割には、その地理的前提となるべき村・森・海辺・街の距離感が不明瞭で集落の孤立感も言語が通じてしまうために皆無であり、その辺はマヤ語使用が裏目に出ている。アミューズメントパークのようなかかる間合いは、メルギブの猟奇的な性欲の性急さを窺わせるばかりである。

 ハプニング [2008]
 監督:M・ナイト・シャマラン 製作国:アメリカ

ハプニング  事態は収束したにもかかわらず、相変わらず不穏な質感の中でズーイー・デシャネルがバスルームで詳細不明の挙動を行う。妊娠検査薬のカットが挿入されると、彼女の挙動の正体が割れるとともに、喜劇として解するにしても含むが大きすぎるジャンル跳躍のふらつきがようやく固着を得る。ズーイーの挙動不審が遡及的にかわゆくてかわゆくてたまらなくなることで、すべては『(500)日のサマー』の前兆現象たる文系浪漫として腑に落ちたのだった。

 監督:森崎東 製作国:日本

喜劇 女は度胸  ミュージカルのようなすれ違いラブコメの切迫は欠いていて、しかし歌劇という体裁だけは筋とは無関係に渥美清によって繕われ、冗長が参与者の意思を統一しうる場だったと明らかになる。かかる場は京急に沿った感情の風土というべきもので、それが幅の持たない線上のものと認識できてしまう構成力。

 ゼロの焦点 [2009]
 監督:犬童一心 製作国:日本

ゼロの焦点  北陸の場末の重さにあって広末の場違いなアニメ声は鮮烈で、その厚顔を木村多江というお笑いキャスティングの、ポワポワとした不幸のアニメ声が内包するような東宝チャンピオンまつりと思ったら、これが協働して中谷美紀を締め上げる。すると中谷は中谷でホラー女優に先祖返りして亡霊化する混乱ぶりで、西島はともかく鹿賀丈史をはじめオッサンらはとんだとばっちりである。

 監督:アルバート・ヒューズ / アレン・ヒューズ 製作国:アメリカ

ザ・ウォーカー  観察物として好ましい単身生活オッサン特有の几帳面さがデンゼルのいい年こいたナルシシズムにまで膨張するとしても、ミラ・クニス当人が作中で言及するように女難がオッサンらの自己愛の梏桎となる。ただそれでは女権を女難で以てしか叙述できないことになってしまう。

 監督:チャン・ジュナン 製作国:韓国

1987、ある闘いの真実  既に見えいている勝敗が、どこまで平静を保てるか、キム・ユンソクの根性を試しにかかるのだが、そこにキム・テリの80年代ノスタルジー爆発のアイドル映画が闖入して、何の映画なのか行く先が分からなくなる。オッサンの根性論に集中できない苛立ちからアイドル映画への没入を断固拒絶しつつも体は言うことを聞かない。こうしてオッサンとアイドルの間で引き裂かれる隙に、話だけはこちらを放置してでかくなる。

 監督:石井岳龍 製作国:日本

パンク侍、斬られて候  ピカレスクを許容できない意匠は、社会時評を揶揄のかたちでどうしても叙述できない一方で、人間は説明できるという確信を充満させて不快な人物の不快な行為を次々と理由づける。かかる一連の営みが論理的であり過ぎるからこそ、北川景子のまとまらない性格造形が注意を惹いてしまう。

 監督:ブライアン・シンガー 製作国:イギリス・アメリカ

ボヘミアン・ラプソディ  ゲイの人々の正体を探り合うような間合いの計り方も上顎前突者の心理的な緩衝も、アナログのリニア機材のプリロールの間に包摂される。だからこそ、ライブエイドのデジタル丸出しの質感が演出の不在を訴えてくる。

 ジャズ大名 [1986]
 監督:岡本喜八 製作国:日本

ジャズ大名  ノンポリがノンポリの意気地を貫くのは撞着語法であり、撞着するから話が進まない。最後にメタ化して山下洋輔一派の本物のノンポリらが出てきて、ようやくこの息詰まりから解放された。

 監督:ディアーヌ・キュリス 製作国:フランス

サガン -悲しみよ こんにちは-  理性が衰滅するほどに演技という理性が開示され、破滅したはずなのに回顧はやれる幽霊譚のように分裂した調子に、貧相の娘が伸していく軽業的な絵が然るべき構造を見出し到達する。

 監督:三宅唱 製作国:日本

きみの鳥はうたえる  柄本佑の遭難に顕著なように悪意は回収され、邪なものは哀れとして解釈しようと試みがなされ、各所で性格造形が受け手の好悪から中立化される。この働きはしばしばスリラーを損なうが、本作にあっては文系の邪念が充足するかどうか、つまり染谷将太が勝利するかどうか、確定をいつまでも曖昧にする効果を発揮している。

 愛を読むひと [2008]
 監督:スティーブン・ダルドリー 製作国:アメリカ・ドイツ

愛を読むひと  文盲よりもアスペルガー症候の愚直さの方に感傷が期待できると思われるが、あくまで文盲にこだわりがある。ダフィット・クロスの熟女趣味同様、このあたりは隔靴掻痒であるものの、自習の件でようやく、このふたつが邂逅をなす。

 クロッシング [2008]
 監督:キム・テギュン 製作国:韓国

クロッシング  チャ・インピョの単身赴任がタイムリミットを無視する悠長さで、時間の流れ方が不明瞭である。妻の顛末が確定すると悲酸の消化でしかなくなり、余程アクティヴな息子の冒険譚がオヤジのドジを益々強調する。しかし息子のラーゲリ物も自助努力で解決されず、やらなくてもいい苦労だったと結論されて、達成感のないまま泣きだけ先行する。オヤジのドジは更に亢進して電話で息子の国境越えを妨害。女たちが巻き添えを喰らう男系的な件は圧巻である。息子の顛末も泣きというよりは悪趣味である。

 監督:ニック・カサヴェテス 製作国:アメリカ

私の中のあなた  キャメロン・ディアスのアナクロな人権観は意図であって、キャメロンの救済ないしフォローは当然なされるだろうと考えるのである。ところが何も起こらずヒール振りがぶれないから、次第に彼女がサイコな意地をどこまで貫けるか見守りたいような、あるいは、そのサイコ芸を享しむような趣向となってくる。おそろしいことに、キャメロンの筋に関してはサイコが貫徹されてしまうカテゴリーエラーが起こっていて、このサイコを野に放つ恐怖映画の結末となっている。士業の過酷さの反映だろうか。

 監督:ジョージ・ミラー 製作国:オーストラリア

マッドマックス2  希少品の連なりが現象を物語として構造化する。オルゴールがフェラル・キッドの行動を誘導し、キャラが動くと今度は空間が構造化する。フェラル・キッドの抜け穴とオートジャイロがワームホールのように空間を穿ち何もない砂漠を立体を与える。また、あくまで子どもは殺戮しないというカテゴリーのお約束が、フェラル・キッドに与える危険を通じてスリルと安心の匙加減を試みている。

 監督:リチャード・リンクレイター 製作国:アメリカ・オーストリア・スイス

ビフォア・サンライズ  読書が異性を吸引する文系邪念の枠内ではイーサンの求愛活動が痛々しいが、自然の摂理というか、その求愛行為がむしろ可愛くなってくると、イーサン視点から受け手は分離される。かといって、デルピーの内面からも依然として締め出されている。その掴みがたい距離感は、アルコールが時間を省かない夜の不自然な長さとして例示される。最後は完徹のつらさに性欲がねじ伏せられ、ニンゲンって大変ですなという不毛な客観視が残った。

 監督:フェデ・アルバレス 製作国:アメリカ・スウェーデン・イギリス・カナダ・ドイツ

蜘蛛の巣を払う女  リスベットに対する性的な興味が出来事を八百長に押しとどめ、説得力の欠けるポルノグラフィのような日常場面の連なりにしかなっていない。文系邪念を超えるものは逆説だが邪念が然るべき構造に嵌ったときであって、リスベットとミカエルの一種のドキドキがこの連作の少女マンガとしての本質を改めて露曝している。ダニエル・クレイグが文弱を演じた前作の歪な配役が思い出されもするのである。

 ザ・タウン [2010]
 監督:ベン・アフレック 製作国:アメリカ

ザ・タウン  邪念が文化格差を無視しようとする。レベッカ・ホールとベンアフがつがいになるとは思えず、たとえ破局を迎えても未練が残らない。むしろジェレミー・レナー、ポスルスウェイト、クリス・クーパーの生き様の話であり、彼らの死体を踏み台にして花開くベンアフ自慰文芸である。にもかかわらず、例によって、汚らしい顎鬚と割れ顎が旅情に耽る様子を眺めていると何かいい話を見たというベンアフ文芸としか言いようのない現象にまたしても襲われる。その人徳力に改めて驚愕するのである。

 哀しき獣 [2010]
 監督:ナ・ホンジン 製作国:韓国

哀しき獣  むちゃくちゃである。キム・ユンソクの戦闘力はともかくタクシー運転手ハ・ジョンウのそれは意味が分からない。ジョンウが内偵の過程を通じて見せる甲斐性もキャラ立ちを不明瞭にする。こんなに仕事が出来てなぜタクシーを転がすのか。しかも、甲斐性のアンバランスに眩惑されるかのように、話はジョンウを放置してユンソクを追い始めてしまう。ターミネーターと化したふたりの振る舞いから抽出されるのは戦闘種族という特性の発見であり、達成される寓意はオスの普遍的な哀しさである。タクシーとは平時に適応できない蛮族のアイコンだったのだ。

 監督:ブラッドリー・クーパー 製作国:アメリカ

アリー / スター誕生  人の踏み台になる宿命をいかにしてリラックスして受け入れるか。その踏み台の象徴を担うのが運転手のオッサンらであるが、初めて踏み台となったクーパーの悲愴な反応が実は誰もリラックスなどしていなかった結論を引き出して庶民賛歌となる。

 崖っぷちの男 [2012]
 監督:アスガー・レス 製作国:アメリカ

崖っぷちの男  大根演技の誤算なのか、不眠症のフワフワ演技なのか、はたまた単にやる気がないのか。エド・ハリスを筆頭に男優陣が力むほどに、エリザベス・バンクスの平常心が謎深くなる。60分でサム・ワーシントン自らにネタをばらされ弛緩する構成をリカヴァーしようとするジェネシス・ロドリゲスの文脈のない色気が健気だ。

 運び屋 [2018]
 監督:クリント・イーストウッド 製作国:アメリカ

運び屋  プロローグが12年前設定で演じ手が米寿の老人であるから、ここから12年飛んで本編に入ると、この老人は何者なんだとならざるを得ない。あとはもう死人の夢で、その内容はヤクザ社会の方々で歓待されてしまう『哭きの竜』のような稀人ヤクザ物である。刑務所園芸に精を出す老人の誇らしげな様子に至っては完全にキレたサイコパス映画の風格である。

 KAMIKAZE TAXI [1995]
 監督:原田眞人 製作国:日本

KAMIKAZE TAXI  役所広司のやつし物であり、「俺強い」が確定しないように彼の造形の輪郭はぼかされる。ところが、誇張された造形物を得意とする演出にはこれが扱いかねるようで、紋きりなミッキー・カーティスらヤクザ連の方がよほど話の展開に貢献している。この辺は役所の自慰への反感で長野県警に同情せざるを得なくなる『あさま山荘』の前兆であって、彼のオカズにされてしまったペルーこそいい面の皮に見えてしまう。

 監督:デイミアン・チャゼル 製作国:アメリカ

ファースト・マン  記録映画の叙述法にジャンル物の劇伴がミックスされる。叙述法から地上の環境音は豊饒であるが、エフェクトカットになると音の厚みがなくなる倒錯。音の齟齬をもたらすのは、理系サイコという感情のないものを感情で説明する試みの困難であり、その一環でもある。地上の情報量がジメジメして不快になってきたところでクレア・フォイの癇癪が襲い掛かり、地上の俗世から離脱したい理系サイコの哀しみが月面で爆発するのだ。

 監督:崔洋一 製作国:日本

友よ、静かに瞑れ  作中唯一の常識人と目される六浦誠がもっともキレているというか、自室に自分のポートレイトを飾るヤクザ事務所のようなメンタリティが不可解で、六浦の色香に惑わされることで藤竜也のナルシシズムが幾分か減圧される一方、人間関係の言及に終始して事は滞留する。結果、80年代ノスタルジーを堪能してしまうという誤作用に見舞われる。

 監督:ジョン・リー・ハンコック 製作国:アメリカ

ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ  マイケル・キートンのヒール映画、あるいはマクドナルド兄弟の悲劇とはとれない。むしろ兄弟の顛末は、マックを単なる飲食業ではなくひとつの文明だと感知できなかったペナルティだと解せてしまう。冒頭で社会インフラの腐敗を表現すべく縦横無尽に展開されたマイケルの顔芸が効いていて、地上が少しマシな場所になったと帰結されるのである。

 エベレスト 3D [2015]
 監督:バルタザール・コルマウクル 製作国:アメリカ・イギリス・アイスランド

エベレスト 3D  前日譚が丁寧にあるいは執拗にこれから全滅するという前兆で満たされ、死に対する感覚が鈍磨させられたところで、隊長ジェイソン・クラークの顧客らとは隔絶した体力を示されると、過酷さの基準をつかめなくなり苦境が実感しづらくなる。物語に帰属できないこのぼんやりとした現象を悪用したのがブローリンのゾンビ化であり、その意味のなさがすべてが徒労だったという反戦映画のような帰結をもたらす。しかもこれがよくこの遭難の性格を表すのだから、ますます当惑するのである。

 監督:サラ・ポーリー 製作国:カナダ

テイク・ディス・ワルツ  腐敗寸前の果実の蠱惑というべきか、ミシェル・ウィリアムズのタヌキ顔が、文系殺しの堂々たる相貌が、これなら文系はイチコロという不可思議な説得力で、紛うことなきハーレクインをただの不条理なハーレムにはしておかない。あまりにも文系殺しな為に板前の内面にわれわれは蹴り込まれ、敗北主義のシメジメとした包容力に立ち会うのである。これもまたハーレム正当化の一環だと思われるが、ここからミシェルの自己憐憫へ持って行こうとするのは性欲が強すぎる。

 監督:リン・ラムジー 製作国:イギリス・アメリカ

少年は残酷な弓を射る  エズラ・ミラーという先天のサイコが誕生した、ではなく、エズラはマザコンの余り狂奔したとなれば、ハーレクイン願望のような性欲が因果関係を曲げている。エズラの色気を捕捉する際に感ぜられるように、語り手の性欲が性急なあまり形式を追ってしまう嫌いがある。マンガのような最後の修羅場にしても然りである。ただ、ティルダ・スウィントンは枯れているので、恐るべき徳望の達成というかたちで性欲は錬成され、後味は悪くない。

 血と骨 [2004]
 監督:崔洋一 製作国:日本

血と骨  野蛮なのではなくその逆で、才能を辺土が収容しきれず、そのかけ違いは異常な戦闘力を主人公補正と思わせてしまう。しかし老齢期に達して喜劇と紛う如き扮装になると、演者当人の本来もっている性質に役柄が収斂され、例えようのない文明と気品が出てくる。臨終に至ってはスターチャイルド寸前のボーマン船長のようになるのもイヤらしいと言えばそれまでだが、論旨には適っている。

 沈黙の宿命 [2010]
 監督:キオニ・ワックスマン 製作国:アメリカ

沈黙の宿命  脈略がない、というより、人間の条件を例示する作業に関わりすぎるために、分断が発生している。全人類が警察ファンという一種の異世界にあって、マニアが固有の知識を生かしてそれぞれの生き様を展開することで、警察24時がハードボイルド教養小説へと転倒している。全編、不条理極まりない。

 監督:アグスティ・ビリャロンガ 製作国:スペイン・フランス

ブラック・ブレッド  階級脱出を否定的に語る上に事件自体が超ドメスティックであるから、事件に由来する感傷に驕慢なものを覚えてしまう。庶民賛歌が強調されるほど、それに反比例して階級脱出への欲求が高まってしまう。階級脱出劇が前提にないために、それが観劇者の中で誤って成立すると、無意識の操作が事実上行われてしまい、スリラーが切実になるのだ。したがって、結末の冷たさは悲劇ではなく固ゆでたまごである。

 監督:橋本一 製作国:日本

探偵はBARにいる  人物が無辺際に動けるのは考えようで、街の輪郭は消失し、小雪がわざわざそこで修羅場をやるのも他に機会がありそうに見えるから、ナルシシズムに堕ちてしまう。しかし同じナルでも西田敏行のそれが発掘されてインフレを起こすと、ナルシシズムが空間と結合して郷土愛を達成することで、ススキノの街に輪郭を与える。

 監督:ケネス・ロナーガン 製作国:アメリカ

マンチェスター・バイ・ザ・シー  またしてもミシェル・ウィリアムズのタヌキ顔の蠱惑が文系を破壊したとあっては、タイプキャストにも程があり、俯瞰視が生じると事態は喜劇となる。しかしミシェルに破壊されたいことには変わりがない。ではどうするか。事件が起こった。ケイシーは事件に潰された。失恋は潰された後に発起した。しかし次第にこの因果が分からなくなる。乗り越えられないという感傷を共通項にして非失恋話に失恋が錯視されてしまう。

 竜二 [1983]
 監督:川島透 製作国:日本

竜二  理屈で詰めれば事態が受容可能なのか危うい。男の甲斐性は堅気界でも互換するのではないか。堅気になって甲斐性を減じた男をむしろ女の方が見離さないか。その含みも確かにあるのだが、そうなると感傷は中和する。今から見れば、80年代の景観という一種の文明が理屈に先行して劇を構成していて、その危うさゆえに、ロケに何という80年代の再現度だという倒錯を抱いてしまう。

 監督:ギャヴィン・フッド 製作国:イギリス

アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場  この手のモラルチョイスで想定される不作為の被害は数倍が相場である。しかし本作では数十倍になり、モラルチョイスの苦渋が希薄化されている。また、売ったものを再び少女に売らせることで事態への帰責配分の過程に少女を組み込むのも問題で、話題が簡潔な根性論に落し込まれる。これはこれで物語の達成であるが、少女の顛末に対する感傷が大仰に見えてしまう。

 南極料理人 [2009]
 監督:沖田修一 製作国:日本

南極料理人  受け手には否応なく課せられてしまう納税者の視点が浪費という背徳感を記述する際において、生瀬勝久の先天的不穏があまりにも活かされ過ぎている。本作においては破綻を内包しながらも日常系の物語は騙し騙し構成されるが、この感性は後に『横道世之介』に至って爆発する。

 監督:バリー・ソネンフェルド 製作国:アメリカ

メン・イン・ブラック3  現代ジャンル映画の画面を構成する文法ではない。文体が然るべき画面を模索したとき、過去が構築されるのである。このグロテスクな間隙の寄る辺のなさが、トミー・リー・ジョーンズの佇まいに仮象のもの悲しさ与えている。

 監督:大林宣彦 製作国:日本

異人たちとの夏  鶴太郎の、威勢だけがよい甲斐性無しの類型の生々しさが、仮象の実感という幽霊譚の条件をクリアさせるにとどまらない。彼の虚勢が秋吉久美子を潜在的な落胆させることで、彼女と風間杜夫の絡みにオイディプスのような不穏を醸成している。

 父、帰る [2003]
 監督:アンドレイ・ズビャギンツェフ 製作国:ロシア

父、帰る  青いレイアウト主義が、弟イワンの、オッサンの相貌を載せた少年の身体という生の迫力に破たんさせられつつも、この兄弟は父を最終的にはオブジェ化している。全てはレイアウト主義に包摂されたのか否か。この、ある種の剥奪が、劇中でイワンが撮ったとされるラストのスナップショットの、玄人っぽいフレーミングで剥き出しになる。

 監督:橋本一 製作国:日本

探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点  喜劇的に性的マイノリティを扱う以外に方法を知らないような、この古めかしい世界観はどうかと思ったのだが、セクシャリティを器質的な生として扱いたかった結果だと判明する。しかしセクシャリティを『砂の器』のような業にすると余計不味いと思うし、ゴリも喜劇の造形を払しょくできないまま砂の器に突入するから、感傷のグリップが効きづらい。

 監督:ジェームズ・ワン 製作国:アメリカ

ワイルド・スピード SKY MISSION  ジェイソン・ステイサムのヤマアラシのような顎鬚を抱擁すべく、ヴィン・ディーゼルの、夢見る肉団子ような半目のナルシシズムがどこまでも社会を私有化したとき、そこで編成される場は冥界と区別がつかなくなる。われわれはポール・ウォーカーの幽体と出会うのだ。

 監督:吉田照幸 製作国:日本

探偵はBARにいる3  見たいものが見られてしまう。北川景子はツンツンしているが、またどうせアレだらう、と期待して、期待通りのものが見られて、しかしアレであの修羅場は飛躍だろうと思わせる所まで期待通りである。しかしこの期待が受け手を拘束することに成功しているのだ。中学生のように互いの股間を確かめ合う冒頭からその予兆はあったのだが、北川の顛末への期待がボーイズラヴ文学という帰結を予想させないのである。