映画感想 [1301-1400]

 監督:イーサン・コーエン / ジョエル・コーエン 製作国:アメリカ


トゥルー・グリット
 ヘイリーが聡明さゆえに死者への負債にはまりこんでしまう様を、無理矢理イイ話に見せようとする文芸の力業に見える。これはジェフ・ブリッジズのうさん臭さが悪い。




 監督:マシュー・ヴォーン 製作国:アメリカ


X-MEN :ファースト・ジェネレーション
 物語の自意識が恥への悦ばしい近しさを呼び覚ましている。それは男の友情に向けられた下世話な興味であり、コスプレに抗うリアリズムへの忠誠でもある。やがてヒールを一身に担うケヴィン・ベーコンの微笑みが物語のロジカルな自意識を溶かしてゆく。


 ザ・ヤクザ [1974]
 監督:シドニー・ポラック 製作国:アメリカ


ザ・ヤクザ
 高倉をドラえもん化するオミッションも、高倉という暴力の制御問題と考えれば、エンタメとして不都合はなかったはず。ところが、ポラックのロマンティシズムは、ありもしない当事者意識の在処をめぐって猟奇的に内向する。



 ノウイング [2009]
 監督:アレックス・プロヤス 製作国:アメリカ


ノウイング
 巨大事故のマクロスケールを人間の局所的な肉体が受け止める。これをひとつのショットとして描画しうる特異な解像度は、また、為す術もなくマンハッタンを俯瞰する距離感の寂寞さでもある。まさか『回路』の銀座がカット割りまでそのままにニコラスで再現される日が来ようとは。


 監督:ジョゼフ・サージェント 製作国:アメリカ


サブウェイ・パニック
 セクシィヴォイスで安心させておきながら、役に立っていない総監。修羅場に強すぎる市長夫人ドリス・ロバーツ。スリラーが後景に引いて現れるのは人間であり、その最たるものが、プロ根性とやせ我慢の織りなすロバート・ショウの好ましい気韻だ。




 監督:ピーター・グリーナウェイ 製作国:イギリス・フランス


コックと泥棒、その妻と愛人
 この、食べログ炎上必至の敵役の横虐は現実感に欠ける。文系賛歌もイヤらしい。リアリズムと語り手の恣意的な欲望を超えた場所にあるものは、中小企業経営者の広蕩たる恣縦が、図解的な舞台装置と劇伴のもたらす明晰さの高みに圧迫される様である。



 監督:ヤノット・シュワルツ 製作国:アメリカ


ある日どこかで
 恋の信憑性に不安を抱く余りただひたすらポートレートに尺を割き続ける強迫観念も、合理性を放棄した時間の楽観的な跳躍も、時への不信の裏返しである。




 最後の忠臣蔵 [2010]
 監督:杉田成道 製作国:日本


最後の忠臣蔵
 よってたかって桜庭ななみの造形を矯正する人倫の広がりは、ひとつのアイデアだと思うし浄化でもあるのだが、この道徳の負荷がしつこさの閾値を超えると笈田ヨシ親子の存在感が浮き彫りになる。彼らのユーモアがいかに稀少なのかと。



 監督:クリント・イーストウッド 製作国:アメリカ


ヒア アフター
 ジミー大西の魂を眺める享しみを可能にする技術的欺瞞は、暗愁も久しい彼の顔面に微笑が宿るに至り、造形の官能性で以て不毛な自然のスペクタルを圧倒する。その様子を宇宙の中心たる料理教室からシェフが牧者のようなまなざしで見守っている。



 監督:トム・フーパー 製作国:イギリス・オーストラリア


英国王のスピーチ
 症候が変化に乏しい点では、時間の概念に欠ける。家庭劇に終始するため、空間の概念も希薄。ただ、最後の演説の控えでは、チャーチルの励ましが社会という空間性を導入し、脇に控える王室御用達犬ペンブロークが、種の恒常性によって現代に連なる時間の感覚を導入するから、高揚が出てくる。


 宗方姉妹 [1950]
 監督:小津安二郎 製作国:日本


宗方姉妹
 失う物をなくした大人たちが陽気に爆弾を放り合う。殊に、死期の近いことをにこやかに語って周囲を脅しながらゾンビ化する笠の前では、せっかくの絹代と山村聰の肉弾戦も霞む。高峰への言葉責めも鬼畜。


 監督:マーク・ロマネク 製作国:イギリス・アメリカ


わたしを離さないで
 男に寄せられる斟酌なき好意が、キャリーの恋愛を母性愛として装わせる(なぜこの男に惚れるのか?)。男に潜む知慮が見出された時、同情を愛へと構成すべく、キャリーのタヌキのように愛らしい体躯が、蒼白な太陽の下、回顧的に転がり始める。事態が凄惨になるにつれ、カット尺も延び、撮影も美術もはしゃぎ出す。

 監督:ラリー・ピアース 製作国:アメリカ


パニック・イン・スタジアム
 隊長ジョン・カサベテスのナルシシズム濃厚な薄笑いが、飛行船の非現実的な遊離感とともに、スタジアムを祝祭の場に変える。ほぼ全編に渡る壮大な死亡フラグが、絆を取り戻した人々の犠牲を個別的偶然に見せない。



 監督:リチャード・レスター 製作国:イギリス


ジャガーノート
 仮装パーティーと隔壁と矜持という究極の形式主義にあって、困窮といかに戯れるのか。リチャード・ハリスは過去の投影に手がかりを求める。




 監督:アンドリュー・V・マクラグレン 製作国:イギリス・アメリカ


北海ハイジャック
 記号化の強度如何でナルシシズムが意味もなく引き出されるという事例であり、ムーアの自己愛を優先した結果、パーキンスの虐待観察劇に終始する。キャラ立ち話としては意味があるものの、スリラーではない。しかしながら、最後のストップモーションに大げさな劇伴が被れば、大作を見たなという錯覚が出るのだからえらい。

 監督:アーサー・ヒラー 製作国:アメリカ


大陸横断超特急
 造形から意外な職能を引き出して好意を見立てる手管は、相手側のレイ・ウォルストンの職人根性にも反映されるほど一貫しているのだが、この手の愛顧と好意を展開は、情報の開示性ゆえに、切迫感の記述と対立してしまう。



 突破口! [1973]
 監督:ドン・シーゲル 製作国:アメリカ


突破口!
 ウォルター・マッソーの内面から受け手が閉め出された段階で、彼の禍福を観察して緊張する作劇は終わっていて、むしろジョー・ドン・ベイカーの、仕事と言うには性的すぎる生態と昂揚が主題に上がってくる。



 監督:クシシュトフ・キェシロフスキ 製作国:フランス


トリコロール / 青の愛
 夢想の中にある夫の風景が良き牽引となるように、セットアップから情報の減価償却に配慮があり、臆見するニートライフの観察がねむりの底から引き寄せられる。多淫な音響の意匠もエンタメとして割り切れば不快ではない。


 新・平家物語 [1955]
 監督:溝口健二 製作国:日本


新・平家物語
 時折、不安定な衝迫で受け手の不安を誘いながらも、パワハラに対する反応として雷蔵の欲望はよく理解できる作りになっているので、王朝物に仮託した近代化論としては、『山椒大夫』よりも受け入れやすい。



 監督:ダーレン・アロノフスキー 製作国:アメリカ


ブラック・スワン
 ヴァンサン・カッセルのエロ顔が、アトラクションのように心許ない譫妄に詩趣を与えている。セーターを首に巻いて登場する所からキレているが、合法セクハラでもあり修行でもあるような不可視の官能に踏み入れた時、ナタリーの八の字眉は痛みある自足へ至る。


 監督:クリス・クラウス 製作国:ドイツ


4分間のピアニスト
 属性に由来する性愛を除くと、クリューガーを動機付けるものが薄い。自棄という感情の共有が、最後の最後でかろうじて救いになっていると思う。




 監督:エドガー・ライト 製作国:アメリカ・イギリス・カナダ


スコット・ピルグリムVS.邪悪な元カレ軍団
 成熟の明るい閉塞感は時への不完全な感応でもある。だとしたら、徳性の指標化によって、ノスタルジックなキッチュから審美的な責任を取り戻したい。




 監督:新海誠 製作国:日本


星を追う子ども
 肥大化した無意識のナルシシズムが、一人称を避ける自然主義の自我に目覚める。丸裸にされた自意識は、心理の間隙を恐れるかのように、事件の羅列を早漏のような尺で切り取り続ける。



 バーディ [1984]
 監督:アラン・パーカー 製作国:アメリカ


バーディ
 ズーフィリアを、最後に着地する人間賛歌の当て馬としか考えていない割り切りが、画面に風情ある痕跡を残している。同衾に精を出すニコラスを動物園のつがいのように眺め、東南アジアには、パロディ寸前のジャンル記号の集積たるを求められる。



 監督:スティーブン・ソダーバーグ 製作国:アメリカ


セックスと嘘とビデオテープ
 スペイダーを鷹揚に造形した点では文系賛歌であり、そのニート生活も観察に価する。彼の造形がどこまで一貫するかという興味があればスリラーにもなろうが、最後に文系賛歌とナレートフィリアを対立させてしまう機序の理解にはしこりが残る。



 大いなる陰謀 [2007]
 監督:ロバート・レッドフォード 製作国:アメリカ


大いなる陰謀
 レッドフォード研究室からトム事務所を経てアジア内陸の高原へと、苛烈な前線へ近づくにつれて内容は空疎になるという逆転世界でロバートとメリルの縦皺と横皺が交歓する熟年映画の宴。トムは息するだけで面白く、政府要人コラ画像には腹が軋む。


 女王陛下の007 [1969]
 監督:ピーター・R・ハント 製作国:イギリス


女王陛下の007
 ドラえもん(ヤクザのオヤジ)を制御するのではなく、むしろ一方的な恩寵に依拠する話である。この万能感は、禍福の尤もらしさを堕落させる効果を持つが、オッサンの寵愛からウフフなパセティックを引き出そうとする問題意識は、三隅版の『斬る』を思わせる。


 黄金の七人 [1965]
 監督:マルコ・ヴィカリオ 製作国:イタリア


黄金の七人
 こちらとしては教授の幸福を祈るのだが、教授当人は助平心に囚われている。教授の挙動への心理的接近を裏切るそのオプティミズムは、やがて受け手の女性嫌悪を糾弾し始める。




 カリートの道 [1993]
 監督:ブライアン・デ・パルマ 製作国:アメリカ


カリートの道
 ドジの応報性がパチーノの悲劇を緩和。他方で喜劇というには構成の欠けるショーン・ペンの文系暗黒面。代わりに、メタボや竹内力らの肉体や知性の特性を利用した空間の解囲劇が、いい年こいたオッサンたちの織りなす現場主義の悲痛を訴える。



 監督:ジェームズ・ウォン 製作国:アメリカ


ファイナル・デスティネーション
 論理性うぃ欠いたジャンル話法が食い詰めるのは致し方なく、死亡フラグのピタゴラスイッチの至るある種の盲目化が、キャラの人生に寄り添おうとする受け手を拒絶する。しかし豊饒な徴証の中に自己を見失うからこそ、残る花もある。


 16ブロック [2006]
 監督:リチャード・ドナー 製作国:アメリカ・ドイツ


16ブロック
 良心の可視化が問題と言えばそうで、形がなければ語り手の作為が及ばない。もっとも、地縁や血縁が形あるゆえにショートカットとして働いてしまい、スリラーに対して禁欲的な作りにもなっているのだが。



 監督:ピーター・バーグ 製作国:アメリカ


キングダム 見えざる敵
 何とも後ろめたいウルルン滞在記を紛らわすためには、クリス・クーパーや現地軍の怖いオヤジの姿態に横たわるような悠久たる人間愛に身を任せた方がよほど楽だと思うが、そこをあえて超人化した捜査員らの暴力の謳歌で応えるのはこれはこれで冒険だと思う。


 監督:ロン・ハワード 製作国:アメリカ


フロスト×ニクソン
 ランジェラに対する追い込みが半ばエンカウントに近い処理になっていて、キャラクターの努力の収支が合わず、観察の拠り所に欠ける。良心の検分のために無意識にマイケル・シーンを誘導する筋だとしたら、キャラの視点と内面の時間配分に納得がいかなくなる。


 監督:ロン・ハワード 製作国:アメリカ


シンデレラマン
 努力の収支が実感できないとしたら? 映画は何らかの指標性を以て、強度の非来歴性に対抗し始めるだろう。強度の占有序列から自ずと顔芸が沸き上がるではなく、より歪んだ顔面が強度の配向を決める威嚇的な空間へと。



 ナッシュビル [1975]
 監督:ロバート・アルトマン 製作国:アメリカ


ナッシュビル
 ガジェットがフラグ化する因果性と文系の暗黒面という属性の普遍性に物語の残滓を求めるのなら、風俗の風化を超えて生き延び得たのは論理的な熟慮ということになる。




 監督:ロマン・ポランスキー 製作国:フランス・ドイツ・イギリス


ゴーストライター
 庭師のおやじさんの帽子を嗅がずにはいられない陰性の好奇心と当然の応報を喰らって軋む顔面。オリビアの挑発に乗せられ露呈する臀部。出版記念パーティーで放たれる何も考えていないドヤ顔。ユアン・マクレガー、文系暗黒映画の最前線を逝く...またしても。


  [1964]
 監督:三隅研次 製作国:日本


剣
 狭窄した部活動がソシオエコミックとの和解により解放されるのではなく、川津や河野らの価値観がこのインフレに巻き込まれおののく。しかも液状化した世界観に揺さぶられる時、現れるのは恐怖というよりも、不条理な微笑を伴う愉快な浮遊感なのである。


 監督:ミロス・フォアマン 製作国:アメリカ・スペイン


宮廷画家ゴヤは見た
 ク〜ンと子犬のように鳴くバルデムの楽しさは元より、にこやかにキレるおやじさんも素晴らしい。しかし後半にはいるや、太秦映画村のように投げやりな空間を所狭しと躍動する手話通訳 Wael Al-Moubayed(発音がわからん)の顔面に釘付け。



 監督:黒沢清 製作国:日本


勝手にしやがれ!! 英雄計画
 横柄な悲惨に臨床の実体を貸し付けるにはどうすれば、ということであり、お揃いのサンバイザーを装着して疾駆する、空き地に放牧されたオッサンたちや、「森のくまさん」の放つ重量のこもった波動がその解答であったりする。


 監督:ウェス・アンダーソン 製作国:アメリカ・イギリス


ファンタスティック Mr.FOX
 感情の解像度がパペットという挙措の拘束具とストップモーションという時の壁に阻まれ朧気になるからこそ、ガジェットの詩は土塊の中で響き渡らずにはいられない。




 将軍たちの夜 [1967]
 監督:アナトール・リトヴァク 製作国:イギリス・フランス


将軍たちの夜
 理性の信奉と人間性の誤配線がうれしい話で、そこから生まれたオッサンたちの緩い紐帯が、眉毛ひとつでワルシャワ市街を破壊しパリを巡るだけで物語を恐怖のどん底に落とすピーター・オトゥールの顔芸に挑む。



 監督:ハル・アシュビー 製作国:アメリカ


ハロルドとモード 少年は虹を渡る
 貴種流離譚の性的ロールプレイがイメクラ的想像力の貧困ゆえに、俗世間への哄笑を俗世間そのものへ収斂するように思う。逆におかんやチャールズ・タイナー叔父らは、記号であり続けようとする実に人間らしい仕草によって、記号の軛から逸脱している。


 マネーボール [2011]
 監督:ベネット・ミラー 製作国:アメリカ


マネーボール
 『シンデレラマン』と同じ問題を抱えている。相対する能力の分布の均衡が、一様性ゆえにほんの一押しで崩れて、労力がフィードバックした実感に乏しい。ジョナ・ヒルの文系全能感など『ソーシャル・ネットワーク』を超えるものだと思うが、早漏。


 監督:志村敏夫 製作国:日本


軍神山本元帥と連合艦隊
 本来は軍政家である彼には、開戦後は出番がないという作劇の課題が付きまとう。したがって、「うむぅ」「ぐムぅ」というあの煩悶のうなり声だけで後半を綱渡りする様を見ると、案外このキャスティングは的を射たものかと思うのだった。



 127時間 [2010]
 監督:ダニー・ボイル 製作国:アメリカ・イギリス


127時間
 孤立が災厄を招くと脅迫する割に、この明朗な造形と孤立の因果関係が明瞭でない。そこを補うべく滔々と弁舌が振るわれ、段取りを語るつもりのない感覚本意の根性論が時間的に穴埋めされるが、ロール・モデルとしてはやはり釈然としないままだと思う。


 イルカの日 [1973]
 監督:マイク・ニコルズ 製作国:アメリカ


イルカの日
 自意識や知性の設定が、逆に痴性を聖化する邪念の存在を暴露しかねないと思う。心理的な防衛として受け手の嗜虐心に期待するのも色々とつらかろう。




 一命 [2011]
 監督:三池崇史 製作国:日本


一命
 役所広司の中途半端な善人化の余波をかって一方的に糾弾される青木崇高一派に、『十三人の刺客』のバカ殿を偲ばせるような、意図せざる感傷の詩意を見る。三池らしい冷酷な通俗化である。真剣を使わないことで、エンタメを毀損してまでキャラの観念化を優先させるのは、受け入れがたい。

 息もできない [2008]
 監督:ヤン・イクチュン 製作国:韓国


息もできない
 偶然の矯飾を侵すまで、然るべきイベントを然るべき時に投入し、世界を不自然に改変するのは、ただひたすらモテたいと願うオッサンの虚栄心。しかしこの邪念は、キム・コッピの退嬰的な愛らしさを胚胎することで、真実となる。



 監督:キャメロン・クロウ 製作国:アメリカ


バニラ・スカイ
 このマブさでは無理もなかろう的な造形の理想化が、現実を希求したり拒絶したりする悲痛さの根拠となる話であるから、今回はキャメロン・クロウの嫋々たる童貞趣味が活かされる場面は多かったと思う。



 カティンの森 [2007]
 監督:アンジェイ・ワイダ 製作国:ポーランド


カティンの森
 状況を一種の無能力に見せてしまうのは、そこに善性をあまり宿らせない酷薄な愛嬌であって、それがむしろソ連兵の鼓膜を心配させてしまうような品の良い平衡感覚になっていると思う。




 監督:ジャック・ドゥミ 製作国:フランス


シェルブールの雨傘
 発話音節数の制約下に置かれ、自ずと絢爛にならざるを得ないキャラクターの身振りが受け手に好ましく強いるのは、心理の節度が常に危機にさらされているという緊張である。エレン・ファルナーのいかにも俺好みな陰翳もこのストレスの反映である。


 八日目の蝉 [2011]
 監督:成島出 製作国:日本


八日目の蝉
 一種のエキゾティシズムから不安を引き出されないために、文芸的救済の最優先対象たる森口瑤子の荒妄を容赦なく十字架にかけるサービス精神は苛烈。俗化の犀利といってもよいこの操作は、田中泯の宇宙的あざとさとして、一種の美的体験に至っていると思う。


 荒野の七人 [1960]
 監督:ジョン・スタージェス 製作国:アメリカ


荒野の七人
 残念ながら、カルベラにパーソナリティを与えることで馴れ合いが始まってしまい、後半はブリンナーの顔面力が浪費されているように見受けられた。




 監督:牧口雄二 製作国:日本


徳川女刑罰絵巻 牛裂きの刑
 淪落を弄しては淪落にならない点で、汐路章の演技は考え物だが、教化を隷属として恐怖する感覚は観察に価する。しかしながら無窮の光芒を放つのは、後半の川谷拓三の癒しあふれる悲鳴だと思う。



 監督:メル・ギブソン 製作国:アメリカ


ブレイブハート
 メルギブの義憤は制度論に止まる上に、封建的無秩序とそれほど矛盾するとも思われず、グロテスクな観念化の印象がある。彼の義憤は、エドワード1世やロバートのオヤジといったオッサン連の矜誇や、ソフィーの細うで繁盛記の方にうまく内面化されてると思う。


 監督:ピート・ドクター 製作国:アメリカ


モンスターズ・インク
 感染の概念がうやむやになる時点で、この設定が拠る難易度が不明となり喜怒哀楽との距離感が明瞭でなくなる。楽しげなアクシオムを離れ地上に降りたがる動機がわかりにくいウォーリーと同じで、美術やアクションが論理性の免罪符になっていると思う。


 監督:ルパート・ワイアット 製作国:アメリカ


猿の惑星 創世記
 ジョン・リスゴーの急性アルジャーノンとも言うべき怪異なドタバタが、過程や脈略のなさをヒューモアへと昇華している。エンドクレジットの自棄糞も、顛末はあくまで人類の瑕疵であって、エイプごときにやられてたまるか的な人類の意気地が感ぜられる。自虐が足りないというよりも、人間である受け手の心理が優先されているのだろう。

 監督:リチャード・フライシャー 製作国:アメリカ


マジェスティック
 戦闘力の余裕に依拠した一種のシニシズムが、ブロンソンに円満な相好を与え、かつ、戦場を相互監視的に堕するように思う。戦闘力では対応できない自営業の在庫管理の苦しみが、そこで痛切になってくる。



 アジョシ [2010]
 監督:イ・ジョンボム 製作国:韓国


アジョシ
 本作と『息もできない』を分けるものは何かと考えると、邪念の影に怯える微温的感情から受け手を取り戻したのは、論理と技術への底抜けなオプティミズムだったと思う。モテたくて仕方がないオッサンの欲望自体には咎がないのであって、欲望を隠蔽すべく社会派を衒い始めたとき、初めて邪念が誕生するのだ。


 J・エドガー [2011]
 監督:クリント・イーストウッド 製作国:アメリカ


J・エドガー
 老化と不健康を競う友情の鉱脈から吹き上がる体脂肪。不穏当なこだわりで苦しみをもたらしてきた文系の陋劣感は、今やメタボ腹の穏やかな海原に漂い、生を肯っている。またしても訳がわからんうちに、人情噺になってしまった...



 メカニック [1972]
 監督:マイケル・ウィナー 製作国:アメリカ


メカニック
 内面のブラックボックス化を機械の自律性に託しブロンソンの神秘化を図る安心のウィナー印。何とも腹立たしいビンセントの多血質が、荒唐無稽寸前の小道具趣味に滞るブロンソンの夢の影に抱かれ赦されている。



 監督:ダンカン・ジョーンズ 製作国:アメリカ


ミッション: 8ミニッツ
 ループを能動的に使っても問題は残る。トライ&エラーが人生の希少性を損ないかねないし、アクティビティが情報開示の過程を恣意的に見せてしまうかもしれない。つまり永遠そのものの圧迫が形を変えて現れる。つまり、シナリオの課題として、ループでありながら人生の一回性に収斂して行くアイデアが求められていて、本作では成功している。

 監督:スティーブン・ダルドリー 製作国:アメリカ


めぐりあう時間たち
 過去の仮構性を気にしない自閉の横着さが、母性や父性の限界に挑まれるかたちで報復される様は小気味よいと思うし、そこから漏れ出でる憎悪の巡り会いは、受けの背徳的な好奇心を満たすものだったとも思う。



 監督:ジョナサン・デミ 製作国:アメリカ


クライシス・オブ・アメリカ
 母性の観測者問題。甲子園へ向かう男の子を見送るしかない切なさなのだが、メリルの場合、酷薄な眼力がシュレイバーの動向に思わぬ効果を与えてしまう。フランケンハイマー版からなんでこんなものが...



 監督:フランソワ・トリュフォー 製作国:フランス


突然炎のごとく
 煩悶を受容する力は、男たちを自己憐憫との戦争へ放り込みかねない。自らを脅かし続ける徳風の偉容をかえって救っているのは、悲劇をぐずつかせない明るい冒険主義だと思う。



 監督:デヴィッド・クローネンバーグ 製作国:アメリカ


クローネンバーグのデッドゾーン
 不幸の弁明を宇宙に求めるのは手に余る。暗い文系の名誉観は内向して、リハビリとして互酬性の感覚を欲求し、結果として寝取られることの恨み節は厚生への奉仕へと膨張する。それはまた運命に対する審美感と代替するようにも思う。



 監督:ティム・バートン / マイク・ジョンソン 製作国:イギリス


ティム・バートンのコープ・スブライド
 光彩の抑揚を打ち消し合うように作用する彼我の舞台が、肉の思い出の実効に要する距離感を女に許さず、思慕に堪えざらしむ表現がむつかしくなったように思う。男にとっては、女の嬌姿が同情の散布界をばらつかせる結果になったのではないか。



 監督:ジャン・ピエール・ダルデンヌ 製作国:ベルギー・フランス


息子のまなざし
 一発芸の衝撃が文芸的課題の余韻を残さず、事を制度運用の欠陥というか、単にテクニカルな問題に還元するように見えた。こうなるとガン見せざるを得なくなるのは、バゲットサンドをシマリスのように頬張る福田康夫(オリビエ・グルメ)の愛らしき生態そのもののように思われてくる。

 監督:リチャード・フライシャー 製作国:アメリカ


ソイレント・グリーン
 ヘストンのモテ振りにオッサンの邪念を見透かしたくなる疑念が、環境ビデオに照応してアヘる、内分泌的な刻印としてのロビンソンの顔芸に圧倒され、かつ救われているように思う。戻れないにしても魂の故郷がある人間の強度だろう。



 監督:ジェームズ・マクティーグ 製作国:アメリカ・ドイツ


Vフォー・ヴェンデッタ
 薄気味悪いコスプレ中年に口説かれてもナタリーならば仕方ないという情けない説得力がある。要は、暇人が仕事を増やしすぎたとしか言いようがない政治的世界観が行為の信憑性の試練に耐えられないため、彼女のふわふわ造形に依存しているように見える。


 監督:ジョン・ブアマン 製作国:アメリカ


未来惑星ザルドス
 文明批評というよりも反ポリネシア的勤労観への堅実な志向のように思える。その辺がコネリーのモテ振りに近しさをもたらすのではないか。




 リクルート [2003]
 監督:ロジャー・ドナルドソン 製作国:アメリカ


リクルート
 八百長を信じるよう培養された真心には、女との交歓に理由などいらない。しかし、受け手にはそれが説明不足で不可解だとすれば、真心は悪用されたことになる。どうせすべて訓練だろうというスポイルである。



 父に祈りを [1993]
 監督:ジム・シェリダン 製作国:アメリカ


父に祈りを
 境遇の低い初期値と監獄の緩い管理体制が冤罪の恐怖を中和するのではないか。成長に語りを投資せねばならないことは自明だが、構成に対する焦燥感が今度は次シーンで唐突にイケメン化するダニエルとして帰結し、タイムスケールの描写に失敗する。が、これはこれでヒューモアでもある。


 監督:ハーバート・ロス 製作国:アメリカ


マグノリアの花たち
 人体の衰滅の度合いが扇動をもたらすとき、物語の道徳観は試されている。あるいは、構成への脂ぎった欲求は同時に残酷さの手際の良さを隠ぺいしようともする。その感覚は、たとえばダリルの自覚を経由した語り手の自意識への言及となって現れていると思う。


 仕立て屋の恋 [1989]
 監督:パトリス・ルコント 製作国:フランス


仕立て屋の恋
 政治的な保身、あるいはナルシシズムとしての女への配慮はキザだとしても、粘着質な顔芸をはじめとするオッサンの非日常な身振りはよかった。アレによって受け手とオッサンが離断され、この話を芸事として観察できる間合いが生じるようだ。


 監督:久松静児 製作国:日本


神坂四郎の犯罪
 虚言癖だからこそ、生理的な形質が一定の閾値の収まらないと尤もらしさが出てこないと考える。その意味で、左幸子編の森繁は見世物として正しすぎるあまり、モチーフをぶち壊してしまう。今となっては金子信雄裁判長のほうがよほどこわい。


 スラバヤ殿下 [1955]
 監督:佐藤武 製作国:日本


スラバヤ殿下
 楽屋で逡巡する森繁兄の心理状態に割かれる不自然な尺が、恥辱の準拠点になっているのだろう。恥に対する抗いから秘匿された自分の欲望を見出す段取りが森繁歌謡ショーに伝播して、その恥かしさ=うれしさを増幅していると思う。


 監督:フィルダー・クック 製作国:アメリカ


テキサスの五人の仲間
 この人は、焦燥した善人をやると、善人という本来の自分から離れたキャラをやるものだから、ものすごい力みが出てはまる。対して、余裕のある悪人をやると、当人そのままにやればいいのだから、リラックスした感じが体からにじみ出る。



 監督:マキノ雅弘 製作国:日本


人生とんぼ返り
 安易に学習されるために行き場を失う感のあるリアリズムは、森繁の症例の劇画化へとメタ化し、リアリズムを表現するためにそれを捨てる。一方で、余裕の河津清三郎らは泥沼化した定義問題を酒の肴にしてはしゃぎ、受け手の情緒を引き締めてしまうようだ。


 駅前旅館 [1958]
 監督:豊田四郎 製作国:日本


駅前旅館
 傍焼きをしても、嫉妬より落胆と好奇の複合物が顔に出てしま深度が淡島千景にはあって、人の良さを表しながら、愛の強度を欺瞞する体でもある。恋が間に合うかというスリラーが、女をどう語ればかけがえなくなるかという明確な問題意識に支えられている。


 監督:マキノ雅弘 製作国:日本


次郎長三国志・海道一の暴れん坊
 自分の欲望を引き出してもらうために相手を執拗に誘導する童貞の八百長芝居を是とする倫理観に良い印象がない。情報伝達のロスはやがて誠意や愛の確からしさまでも取りこぼしかねない。森繁の無念がよくわからなくなるのではないか。


 監督:成島出 製作国:日本


聯合艦隊司令長官 山本五十六
 シンボルとして意図的に人格を空洞化させた役所がもはや文芸の課題を担うことはなく、役所の安全牌化の暴走に曝され圧迫された香川の人間らしいうめき声が、物語の悲痛なトーンを支配している。南雲の茶漬けなどほとんどパワハラ。すばらしい。



 監督:ジョン・パトリック・シャンリー 製作国:アメリカ


ダウト あるカトリック学校で
 当事者にしてみれば深刻なのだが、傍から見れば、銀河帝国内の政争をやるような顔力でメリルが電球を交換するものだから、その不毛感がすさまじく、またいじらしくもある。




 永遠の僕たち [2011]
 監督:ガス・ヴァン・サント 製作国:アメリカ


永遠の僕たち
 男の過去の喪失が女とあまり連関しない以上、そして自分を失いつつある女の視点を物語が扱わない以上、観察に値する人生の課題はやはり事後を待たねばならないだろう。




 バトルシップ [2012]
 監督:ピーター・バーグ 製作国:アメリカ


バトルシップ
 第3新東京市なみの八百長ギミックである。遠隔地に軽装備のまま放り込まれ、厳密な交戦規定に縛られたまま思うように戦えない宇宙人のくやしさこそ、同情や好意の源泉となり得るのではないか。地球人側を眺めれば、どんなに弾薬を費やしてもブリトーひとつの痛切さには及ばないように見える。


 監督:デヴィッド・フィンチャー 製作国:アメリカ・スウェーデン・イギリス・ドイツ


ドラゴン・タトゥーの女
 モニターの前でオッサンと並んだリスベットがLOVEずっきゅん。実にけしからん文系オッサンの邪念である。いや、それはよいのだが、文系オッサンにクレイグをあてがって受け手の認知構造を混乱させるといった誤魔化しのスケベ根性が気にくわない。



 監督:宮崎吾朗 製作国:日本


コクリコ坂から
 ドヤ顔昭和30年代風俗観察に始まり、近縁関係の意識を求愛行動のフラストレーションにして煽る下世話エンタメ。セクハラの概念がないことをいいことに、スキンシップしまくる理事長のオッサン。ことごとく品がない。それがうれしい。



 密告・者 [2010]
 監督:ダンテ・ラム 製作国:香港


密告・者
 不幸の重みに耐えられるよう鈍化したニックの所作に見所は薄く、あくまで職場放棄しない強盗団副官のハナ肇(パトリック・キョン)の美しさが引き立つばかりだ。しかし同情をおもねってやまぬアピールは、やがて受け手をドン引きへ落とすほど累積する。


 監督:フィリダ・ロイド 製作国:イギリス・アメリカ


マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙
 認知症を人間の文脈へ回収しようとする精神衛生の楽観が、幻想文学やSFといった益体もないジャンル化を経て、敗北主義の思い出の物語へたどり着いている。




 監督:堀切園健太郎 製作国:日本


外事警察 その男に騙されるな
 テレビに続いて篤郎の挙動が落ち着かず、それがフェイクだと分かったところで、余計に人格破綻の印象を強めかねない。総じてみれば真木よう子の峻烈な意志の物語になっており、女性の変貌する心理に血管を浮かせる語り手の変わらぬフェチがうれしい。


 監督:内田けんじ 製作国:日本


アフタースクール
 情報開示の驚きは重視せず、イベントに対するキャラの反応が彫琢してゆくアレゴリーの方へ受け手への感化を託した場合、救いの指標が不明瞭になるのはよくないと考える。自助努力で全容を把握しつつあった社長(北見敏之)が日の丸親方な堺らに虐待される点で、前作で組長を救済した価値観が半ば放棄されているのではないか。

 監督:山田尚子 製作国:日本


映画けいおん!
 女に芽生える何を今更なセクシャリティの意識が、気色悪くなりかねない密度依存的な個体群の観察記に構造を与えている。それを手掛かりに、演奏がどこまでも間延びするようなTVシリーズの永劫回帰的な結末を乗り越えようとするのは救いのように感ぜられた。

 監督:武内英樹 製作国:日本


テルマエ・ロマエ
 受け手の自尊心を充足させる試みが規範的な効力を持つに至れば、今度は受け手に生じる警戒感への対応が求められるだろう。老醜の再解釈を通じて行われる規模の拡大は作劇のたのしさであるが、そこにはこうした警戒感を癒すやさしさも含まれていると思う。

 助太刀屋助六 [2002]
 監督:岡本喜八 製作国:日本


助太刀屋助六
 一徳の自意識や仲代の美意識が、多動性障害の世にも幸福な有様から漂う自己呈示を有徴化しかねない。旗色に感受性がありすぎる庶民主義を中和する方へそれが働いたとしても、後味の暗さは払拭できないように見えた。


 監督:ウディ・アレン 製作国:スペイン・アメリカ


ミッドナイト・イン・パリ
 天国があった、ということではなく、天国があまりにも精緻すぎる、という苦しみであるようにも思う。秩序へのセンスを絶えず要求する圧迫感が時代を超えたとき、ストレスの翼に乗って男の顔芸がのびのびと高翔する。



 薔薇の名前 [1986]
 監督:ジャン・ジャック・アノー 製作国:ドイツ・フランス・イタリア


薔薇の名前
 ベルナール・ギーを例によってたっぷりと演じて男前を上げるエイブラハムが好ましい。元来作品の持ってた高慢な料簡が脱落した意味で、この俗化には共感を呼びうる物があると考える。ベルナール・ギーの軽すぎる風采にはかえって人であり続けることの強烈さがあるように。


 コンボイ [1978]
 監督:サム・ペキンパー 製作国:アメリカ


コンボイ
 あくまで陰惨な華やかさのよろこび(ニューシネマ的挫折感)と戦おうとする実践が、ニューシネマの知見をジャンル的与件へ落とし込みながら、実のところ、詩的な具合にも整えられようとしている。多くの散乱した当事者を共感的な応答でひとつの構造へ集約するのは修辞学の努力だろう。


 監督:ジャン・ジャック・ベネックス 製作国:フランス


ベティ・ブルー
 遊牧生活の最後の戦いを痛惜するのではなく、神経疾患を演じるという理性を発見し、人間という幾何学的様相の完成に安堵してしまうのである。ダルのアレは演技でなく地だらう、というドン引きが癒されてゆく。


 髪結いの亭主 [1990]
 監督:パトリス・ルコント 製作国:フランス


髪結いの亭主
 実体経済に裏打ちされない架空戦記状のロマネスクが、オッサンのヒモ生活という類型に破壊されようとしている。経済の論理文法を当てにできない舞台にあっては、どのようにして、行為のもつ悲壮感を知覚すればよいのか。


 監督:矢崎仁司 製作国:日本


三月のライオン
 動機の童心的な(=イヤらしい)観察と四囲の景物の几帳面な専制との裂溝は政治的なオプションであるが、結果として、景物に対する小心さが、風俗観察を時の風化から保護しているようにも見える。