映画感想 [1201-1300]

 監督:マイケル・チミノ 製作国:アメリカ


サンダーボルト
 追っ手のジョージ・ケネディは魔法のように移動し、遊び半分のバイトはエリコンの20mmに易々と行き着く。プロセスがないというよりシーン相互の論理的な接続が弱い。ニューシネマという型が先行し、そこにエピソードを詰め込もうとしている。



 ブロウ [2001]
 監督:テッド・デミ 製作国:アメリカ


ブロウ
 経営的手腕という手際を映画は総集編という速度で表すしかない。この話が潜在的に煽り立てる実務へのあこがれは、家族という文芸路線の深刻さをまるで実感させない。痛いのは引き際と資産保全の後悔だ。



 ミルク [2008]
 監督:ガス・ヴァン・サント 製作国:アメリカ


ミルク
 ショーン・ペンが有能すぎて出世街道のトレスになりがちなところを、不穏な結末を前提としたり保守的な女性をミソジニーのはけ口にしたりで、二時間を無難に全うできたと思う。絵的には、市庁舎の長屋のようなオフィスが印象的で、ハリス・サヴィデスはあの通路を望遠で収め距離感を不明瞭にしている。空間の曖昧さが乱心したジョシュ・ブローリンの恐怖を増幅するのである。

 96時間 [2008]
 監督:ピエール・モレル 製作国:フランス


96時間
 画面はフィックスがちで、人物の縦横も簡素である。奥行きに対するストイックな態度は、次々とやって来る早漏めいた編集点によって代替され、三次元空間を前提にできないジャンルアニメのようなカット割りに。


 パピヨン [1973]
 監督:フランクリン・J・シャフナー 製作国:アメリカ・フランス


パピヨン
 金が潤沢な上にマックィーンが頑丈とあってはゲームバランスが悪い。その意味で孤立無援の独房入りこそ物語に価する生活観察だったと思う。コーネカンプのライティングだってあそこではノリノリだ。



 シャブ極道 [1996]
 監督:細野辰興 製作国:日本


シャブ極道
 本田博太郎の嚥下と素振りの迷いなき苛烈さと早乙女愛の聡明な野望が、役所の酷烈な愚鈍状態に物語という秩序の光をもたらしている。



 監督:フランソワ・トリュフォー 製作国:フランス


ピアニストを撃て
 ダイアローグになると台詞に絵が引っ張られクタールのドキュメンタリズムなワクワク感が途絶してしまう。しかし、カット割りにつられて車中で忙しげに振り向くマリー・デュボワは愛らしい。基本的に童貞の妄想だと思うが、その早漏さを活かしてこそ浮かぶ瀬もある。あがり症のライフハックで半笑いになるアズナブールなど、腹筋が鍛えられる場面は多い。

 監督:細野辰興 製作国:日本


大阪極道戦争 しのいだれ
 最初から阿部寛が札束を積むので経営シミュレーション要素はない。むしろ本田博太郎や番頭といった小役人造形が最後には役所広司をものともしない高潔さに至る様に物語の価値あり。




 監督:マイケル・マン 製作国:アメリカ


パブリック・エネミーズ
 デップのロマンスにクリスチャン・ベールの童貞軍団が煽られるまではよいとしても、けっきょく両者に話の段取りを語らせるほどの能力はなく、事件は偶然に振り回される。この中折れ映画に活を入れるのがわれらが“大佐”ことスティーブン・ラングである。


 監督:クエンティン・タランティーノ 製作国:アメリカ・ドイツ


イングロリアス・バスターズ
 クリストフ・ヴァルツに多くを負った話だと考えるから、彼の結末を安易に処理するとスリラーの前提そのものが事後的にひっくり返される。一方でメラニー・ロランの始末は、殺し合い根性論を意図せぬ情愛の視覚化にまで至らせることで、ヴァルツとの論理的接続の破棄(復讐うんぬん)を合理化すると思う。


 沈まぬ太陽 [2009]
 監督:若松節朗 製作国:日本


沈まぬ太陽
 色々と小技が効いて飽きさせないのである。戯画化された接待攻勢がバブルの風俗観察として浮上すれば、負けじと渡辺謙がサバンナで半笑いを浮かべ、おそろしく不味そうにソバを啜る。油断するとハリボテの747が画面を横切り、睡魔の付け入る隙を与えない。観察して面白のは理念的な嫌いのある渡辺謙さんよりも三浦友和になる。実のところ後者の方がよほど「造形の恒常性が成長を表現する」フォーマットに則っていたと考える。他方で、謙さんの軽躁さは相変わらずで、それを宴会芸として活かすのは正解だが、オチがない。

 ハゲタカ [2009]
 監督:大友啓史 製作国:日本


ハゲタカ
 滅びつつある製造業文明に外縁から担い手が現れるモチーフで、つまり『グラン・トリノ』と同じではある。もっとも語り手自身がこの文明に確信を持てないように見えるから、柴田に手を貸す大森の動機もいまいち判然としない。が、細々としたネタには尽きない話で、情けない営業スマイルから始まって悽愴な変遷をたどる遠藤憲一の顔芸。勝手にスピンオフして刑事ドラマをやる嶋久のセクシィヴォイス。ますます妖怪化した中尾彬。全く役に立たない柴田恭兵。無駄にでかい龍平の茶トラと、見どころは多く、終わりもきれい。

 監督:マーク・ウェブ 製作国:アメリカ


(500)日のサマー
 サマーがわからないのは、そもそも興味がないからである。興味がないから、彼女の姿態は台詞で能弁に説明され、逆に友人たちのディテールは説明がないのに濃密。これではホモソーシャルと言われても仕方ない。「事務職は家庭に入っておれ」なオチにも、政治的に大丈夫かこれは、と余計な不安が湧く。


 監督:クリント・イーストウッド 製作国:アメリカ


インビクタス 負けざる者たち
 画面端に映るモーガンの国連演説が好ましく、何気ない扱いだから余計うれし恥ずかしい。秘書アッジョアも、車中でモーガンとスポーツ大臣のラグビー談義に巻き込まれるとすごいウンザリした顔をして、細やかな意匠の享しみを与えてくれる。しかしいくら試合が盛り上がらないといっても、豚のような喘ぎ声で強引に保たせようとするのはマニアックすぎてついて行けない。

 監督:ダニー・ボイル 製作国:イギリス


スラムドッグ$ミリオネア
 ツーリズム以外に、出題の幅にともなって分化したエピソードをまとめるものに欠けがち。兄貴の心理は追いきれず、負い目と外貌以外にラティカの魅力を語るものもないから、ジャミールの執着が記号的に見えてしまう。



 HACHI 約束の犬 [2008]
 監督:ラッセ・ハルストレム 製作国:アメリカ


HACHI 約束の犬
 起伏に富むとは思えないプロットワークを走り抜くことで、犬は鉄道町の地誌を浮かべる。秋田犬のモフモフ感を高揚させるマッサージプレイ、謎の剣道ごっこ、かわいいサラ・ローマーと90分に死角がない。確かに、オチは弱いし、中産階級の安心感にチート臭もあるが、後半30分の動物虐待劇を経れば、むしろその平穏さが救いのように回顧される。

 監督:アリ・フォルマン 製作国:イスラエル・ドイツ・フランス・アメリカ・フィンランド・スイス・ベルギー・オーストラリア


戦場でワルツを
 Flashの制約を乗り越える工夫の楽しさは多々あったと思う。あのエフェクトの薄さでメカ描画をやるのはつらいが、メルカバのチェーンカーテンやアンテナの生体的な動きはユーモラスだ。コントラストで保たせる固いダイアローグも、後景の喧噪で愉しくなる。しかし、情報開示の仕方がまずいためか、記憶復元のサスペンスは途中で放棄された感があるし、キャラの心象へ寄り添うにしても、IDFと事件の間に距離感があるため、当事者感覚に強引さが出る。メカ描写への執拗な気配りも、このような余裕の産物に見えてくる。

 監督:片渕須直 製作国:日本


マイマイ新子と千年の魔法
 理系家族の未来志向と豊かさが、箱庭的精密さへの興味がかえってもたらしかねない田園の閉塞感のカウンターとなって、エンタメを翳らせない。もっとも、妄想と孤独の連関を最初から割り切るため、理想化の嫌いは否めず。


 天使と悪魔 [2009]
 監督:ロン・ハワード 製作国:アメリカ


天使と悪魔
 偶然に依存する謎解きが最初から当てにされておらず、事件に駆られ、なけなしのパフォーマンスを振るうスイス衛兵や国家警察のオッサンらに教化的な影響を頼る正統派群集劇であり。ラングドンはオロオロするだけでキャスティングも悪乗りが過ぎるが、ネタとしては楽しい。


 コップランド [1997]
 監督:ジェームズ・マンゴールド 製作国:アメリカ


コップランド
 スタローンが頑丈すぎて、ハーヴェイの身の上を心配する余裕すら出てくる。つまり緩急のさじ加減がスタローンの肉体に阻まれる。ただ、デ・ニーロに諫められるまで警戒を解かない件まで来ると、聴力を奪うことで与えられた、スタローンの一種の動物ものの身振りが、その意地らしさによって、筋肉を乗り越えたと思う。

 監督:山田洋次 製作国:日本


おとうと [2010]
 披露宴における業者の危機管理は頂けないし、医療従事者への蔑視と加瀬亮を讃える庶民主義も冷酷。しかし否定された職業的冷淡さが、死神のように場慣れした小日向&石田夫婦のいささか猟奇的な迫力に昇華されたとき、映画は世間の価値観を超える。


 監督:ヴェルナー・ヘルツォーク 製作国:アメリカ


バッド・ルーテナント
 様々な作品で「善への衝動」の制御問題に苛まれてきたニコラスが一定の回答に至っている。彼はもはや悩まない。善への衝動に身を任せ水に飛び込み、腰を痛めるのだ。対処療法も問題可決のスピードが癖になってくるし、何よりも露骨なネタの数々がイヤらしくなく素晴らしい。


 レスラー [2008]
 監督:ダーレン・アロノフスキー 製作国:アメリカ・フランス


レスラー
 総菜屋の過密な情報量を縫って、エプロン着装のロークが体を駆り立てる。嫌がりながらも習熟は進み経過観察のエンタメが出てくる。こんなものが面白くないわけがないのだが、ここまで器用な彼が窮地に陥る不可解に思い至ると、映画の作為が気になり始める。マリサにしても娘エバンの一件にしても恵まれすぎで、試合には作為があって然るべきだとしても、実生活が八百長では困る。では真実はどこにあるのかというと、オリジン弁当のバイトを試合扱いした語り手の露骨な目論見は正しかった思う。迷宮のようなスーパーのバックステージも良い。エロ動画を見るマネージャーも素晴らしい。

 北国の帝王 [1973]
 監督:ロバート・アルドリッチ 製作国:アメリカ


北国の帝王
 本当に下らない映画で、なぜこの老人たちがこんな価値のないことをめぐって憎み合い殺し合うのか、その動機のなさに唖然とする。一応、物語の仁義はられていると見てよい。アーネストにとっては、新幹線大爆破・浜松駅ポイント切替や殺人ブレーキの人身事故が動機を突き上げてくれる。マーヴィンにしても、教官と弟子の図式が彼の機能性の見せ場を作ってくれる。それら全部をキャラダインがぶち壊しにしている。貨車の屋根をコロコロと進むアーネストのメタボ体がただ美しい。

 監督:キャスパー・リード 製作国:イギリス


オスロ国際空港 ダブル・ハイジャック
 車線に割り込んできたトレーラーがいかに怪しげでも、為す術を知らない犯罪者たちはそのまま固まり推移を見守るだけ。画面の縦深性もさることながら、その凝固した馬面が微笑を誘う。コネリーのシャワーシーンもあるよ。



 監督:ハロルド・ライミス 製作国:アメリカ


恋はデジャ・ブ
 時が流れないなら、自らに時を刻み込む。選択がすぐに跳ね返る様はアクションであるし、技術が蓄積する様は中年の遅すぎた発展小説。愛の確からしさを担保する見返り放棄も、設定に織り込み済み。I Got You Babe の印象変化が、やがて時を奏で始める。


 監督:マイク・ニコルズ 製作国:アメリカ


バージニア・ウルフなんかこわくない
 どのキャラであれ、いったん攻勢に出ると似たような造形に収斂するため、扇情的な台詞の割には感情の抑揚は穏やかな印象。大演説の背後でかしこまり、個別化を取り戻す人びとの方がかえって自己を主張している。テイラーのデレ芝居はその総決算なのだろう。


 監督:キャスリン・ビグロー 製作国:アメリカ


ハート・ロッカー
 発汗とか唾液とか、体液への興味を充足させるアイテム(ストロー、カートリッジ)の強引な使い方がフェチを煽る所もあって、寄りがちな画面も生理的な興味と解せばCQBの誤魔化しとばかりは言えない。しかし雨樋を滴る水まで粘性を獲得するのは露悪的か。


 監督:ウディ・アレン 製作国:スペイン・アメリカ


それでも恋するバルセロナ
 忽然とするヨハンソンの顔芸に天然キャラへの嘲笑が含意されるかと思えば、やがて天然であるからこそ果たせる役割が見出される。こうした配慮がイヤミにならず、類型で受けを狙った個々の造形は生きた人間として語り直される。えらいものだと思う。



 2012 [2009]
 監督:ローランド・エメリッヒ 製作国:アメリカ


2012
 事件が駆り立てるべき人びとの動機に仕込みが足らないため、イベントがアトラクション化して、感情移入が因果関係の甘さを粉飾できない。しかし話が後ろ向きになると俄然輝き出すのが老人たちで、つまり老人ディザスター映画というニッチな輝き。カーチェイスが空中戦に代わるのはご都合主義だが、地上を這い続けると情報が整理しきれず焦点がぼやけかねない。空を飛ばないと、この辺の整理はむつかしいのだろう。

 監督:ウディ・アレン 製作国:アメリカ・イギリス・フランス


ウディ・アレンの夢と犯罪
 コントとはいえドッグレースや伯父の存在が条件づけを無効にすると、確かなのはコリンの顔面だけとなる。後に畏るべき暴走によって、眉目濃密な顔面の安らかな意味合いが人々の想いを超え始めるのだが、それを手応えある観察と評するにはストレスが過ぎた。


 監督:チャーリー・カウフマン 製作国:アメリカ


脳内ニューヨーク
 演技というルーティンが自我を支える温柔な牢獄に至る課題があり、その損益分岐点として更年期の不安が使われる。この生理的な執拗さはテンプレの牢獄とセクシャリティの問題を橋渡しするようでいて、逆に個々の噛み合いのなさをあからさまにしていると思う。


 監督:ローランド・エメリッヒ 製作国:アメリカ


デイ・アフター・トゥモロー
 クエイドの後ろに控える髭面(ジェイ・O・サンダース)の自己主張にサイドミラーのピン撮りで応えるエメの心意気(しかし…)。UK組の侘びしさに涕涙すれど、最後は副大統領ケネス・ウェルシュに北半球と釣り合う満腔の顔面を見る。



 監督:高畑勲 製作国:日本


じゃりン子チエ
 会話のテンポを狂わせがちな間の一拍が、拳骨との絡みでは好ましいフラストレーションにはなっても、基本的に喜劇の生理を持て余す。しかしヨシ江関連のパートに入ると、この生理が一気に話を映画の風格に持っていってしまう。



 監督:セス・グロスマン 製作国:アメリカ


バタフライ・エフェクト3
 改変の影響を明確に定義しない履歴性の弱さがキャラを動かす前提となるから、心理やセットのディテールに執着が出てくる。が、来歴のなさゆえに因果を語れない以上、ネタ暴きの過程は皆無に等しく、猟奇描写で誤魔化すほかはない。



 華岡青洲の妻 [1967]
 監督:増村保造 製作国:日本


華岡青洲の妻
 目前に若尾のうなじがあるというのに、若尾視点であるから高峰にピンを送らねばならないくやしさ。しかしボケ足に包まれるからこそ、触れそうで決して触れないあのうなじの淫靡さが増感し、保造の焦燥した息づかいが真に迫るのである。



 監督:ダンカン・ジョーンズ 製作国:イギリス


月に囚われた男
 時間制限に関する曖昧な認知が自我の危機を深化させず、ただ追い立てることで作業療法的な中和を行い、むしろその制限が行動の理屈付けだけに利用された感がある。そのため観察に倦怠は生じないが、危機の納得行く落とし所も見つけがたい。



 追跡者 [1998]
 監督:スチュアート・ベアード 製作国:アメリカ


追跡者
 トミー・リーのアイドル映画だからこそ、冒頭の着ぐるみから始まる着替えプレイは意図が露骨で萎える。船頭おやぢとのいい顔ツーショット、アンビュランスを要請するテンパリ顔、心底イヤそうな部下との対面顔。こういうものがよい。けっきょくウェズリーとダウニーの間で埋没するのも、彼らしい。

 監督:ジェイソン・ライトマン 製作国:アメリカ


マイレージ、マイライフ
 冒頭の空撮ワイプにThis Land Is Your Land を被せずにはいられないくらい図解性に執着してしまう映画で、アナをベタな小娘造形に貶めるのは罪深い楽しさ。しかしサム・エリオットの機長振りにはクルーニーとともに戸惑う。



 監督:ピエール・モレル 製作国:フランス


パリより愛をこめて
 運転手が偉大だ。職人の身振りで物語を魅せるだけでなく、何気なくトラボルタに引っ張り出される導入の日常っぽさが職人の遍在を予感させて、記号でしかなかった謎の組織に実体を与えている。あれを主役にしろよと思ったがそれが『96時間』か。


 第9地区 [2009]
 監督:ニール・ブロムカンプ 製作国:アメリカ・ニュージーランド


第9地区
 対処療法の観察だけでは心許なく、唯一共感できるエイリアンの望郷を会社員の行動とリンクさせたい。しかし、よい意味での舞台設定の緩さが行動や信念の信憑性を扱う段になると、粗雑な印象は否めなくなる。ドキュメンタリーのつまみ具合にもその傾向あり。


 フェイク [1997]
 監督:マイク・ニューウェル 製作国:アメリカ


フェイク
 八百長だからフロリダで盛り上がっても空しいものはある。パチーノへの執着も、もともと八百長であるがゆえに、わざわざデップの台詞で説明されないと実感が湧かない。ただ他人の会話を遠巻きに眺めるような疎外感のコントロールがジワジワと効いてくる。それがラストの歯車の美学に至るわけで、あそこではパチーノの身振りを観察するだけで完全に映画が成り立っていて、台詞がもはや必要とされていない。

 監督:ポール・グリーングラス 製作国:アメリカ


グリーン・ゾーン
 ジミー大西の好奇心が職業人のそれではなく、造形と物腰が解離。職業人のかっこよさでいえば、CIAのおっさんや現場のコワイ髭オヤジに目が行ってしまうし、テンパリ度で言えば、もちろん通訳フレディや将軍の映画である。



 監督:ジョン・アミエル 製作国:アメリカ


知らなすぎた男
 インフレだけでは物足らなかったはずで、薄幸なジョアンヌ・ウォーリーに生き甲斐をもたらせたのが大きい。あるいは彼女が共感の難しいビル・マーレイに好意を見いだせたこと。視点の移動が効いている。


 監督:ジム・ジャームッシュ 製作国:スペイン・アメリカ・日本


リミッツ・オブ・コントロール
 話を駆動させるガジェットが隈なく配慮されているから、美術館と現代建築めぐるだけで、ブルース・リーに成れてしまう。この文系の夢の詰まり具合からすれば、ビル・マーレイもあざとさなど、物の数ではない。



 おくりびと [2008]
 監督:滝田洋二郎 製作国:日本


おくりびと
 もはや浮世離れの記号でしかない広末をキャスティングした理由が当初見えなかった。この役が実は狭猥な世間そのものだとわかると、自分なりのやり方で人生の退却戦に立ち向かう女優の姿が見え、好感を持った。



 ヤッターマン [2008]
 監督:三池崇史 製作国:日本


ヤッターマン
 担保ある愛が観察に価しない。ドロンジョにはボヤッキーの、ボヤッキーにはトンズラーの好意がある。トンズラーは自分のことが大好きだ(たぶん)。したがってもっとも悲痛なのはドロンジョに執着するドクロベーなのだが、ここにはフォローがない。



 監督:山崎貴 製作国:日本


SPACE BATTLESHIP ヤマト
 山崎&西田&柳葉といったオヤジ陣の小芝居や、メイサの巨大な体躯をお姫様だっこして腕がちぎれそうになる緒形直人、高島礼子の巨大な茶トラなど、ネタに尽きることはないのだが、基本的にはアメリカ西海岸のカンブリア紀。


 監督:ジョニー・トー 製作国:香港・フランス


冷たい雨に撃て、約束の銃弾を
 意味を失わなければプロ根性を確証できない倒錯も作品そっちのけで表現者の限界に挑むサイモンの歓喜もしょせんは好ましい馴れ合い。この楽園から疎外された異邦人に手をさしのべるのは、ジョニー・トーの大いなる天然。


 刑務所の中 [2002]
 監督:崔洋一 製作国:日本


刑務所の中
 香川×トモロヲのマッサージプレイの露骨な性表現を冷や冷やしつつ、牧人のような山崎の微笑で我に返る。「修学旅行の戯れ」がもっともスリリングになるほど、刑務所の形式主義がスクリーンを越えて観客を麻痺させるのだ。


 加藤隼戰闘隊 [1944]
 監督:山本嘉次郎 製作国:日本


加藤隼戰闘隊
 これが一式戦のヘンタイ機動か、と感心するも、時折、円谷の操演が混じるから睡魔には油断ならぬ。早くも緒戦を回顧する感が濃く、唐突に判明する非道いオチが、藤田進をただの経営コンサル学芸会で終わらせない。



 監督:シルヴェスター・スタローン 製作国:アメリカ


エクスペンダブルズ
 教会の会話が典型的で、記号的造形が予想通りの記号的台詞を並べ、記号的振る舞いをする。ところが最後になると、ジェイソン・ステイサムのポエムに心躍る。愚直に記号を重ねることで、彼らは血肉を得たのだ。



 サマリア [2004]
 監督:キム・ギドク 製作国:韓国


サマリア
 行動の飛躍が教条的に見える。訓話がいけないというよりも、むしろ個々の奇人性が質とバラエティにおいて物足りないように思われる。




 監督:ジム・シェリダン 製作国:アメリカ


マイ・ブラザー
 堅実なホームドラマが、作劇の教科書からそのまま出てきたようなインテリメガネの親玉らを好ましく浮かせる一方で、マグワイアがセラピー教科書を忠実にトレスし始めると、病の凡庸さに話が取り込まれてしまう。



 ゾンビランド [2009]
 監督:ルーベン・フライシャー 製作国:アメリカ


ゾンビランド
 初期設定では孤独が童貞をサバイブさせたとされる。結末では友愛が童貞を救ったとされる。この間隙を埋めるために尽くされる饒舌さが、キャラの記号化を急ぎすぎる。




 監督:ゴア・ヴァービンスキー 製作国:アメリカ


ニコラス・ケイジのウェザーマン
 すでに成功しているものだから、達成感が乏しい上にニコラスの欲求不満が深刻なものとして捉えられない。時間の概念が薄いとも言える。アーチェリーの習熟やマックでやるイヤらしい顔芸の好ましさは、時間があるという安心感に由来するのだろう。



 クロッシング [2009]
 監督:アントワン・フークア 製作国:アメリカ


クロッシング
 話を魅せるのは常識人ブライアン・F・オバーンの顛末にあるが、またしてもリチャード・ギアのオナニーに収斂するという忌々しい安定度。




 春が来れば [2004]
 監督:リュ・ジャンハ 製作国:韓国


春が来れば
 あくまでガジェット優先であり、構成の連なりに気をやる類の話ではない。スクールバンドには炭坑というのは、組み合わせの記号であって、両者の間に有機的な絡みは乏しい。栗山千明似の薬剤師もかませ犬にすぎず、くやしがらせてくれる。



 監督:ハラルド・ズワルト 製作国:アメリカ


ベスト・キッド [2010]
 やたらと尺が割かれる風俗観察から解るように、基本的にはlocalityの映画だから、ジェイデンの負い目も移動さえすれば解消というごく軽い扱いで、前作の造形的怨念は微塵もない。むしろユー・ロングァンの不条理な劇画振りに映画を見る。



 監督:シドニー・ルメット 製作国:アメリカ・イギリス


その土曜日、7時58分
 シーモアの欲求不満が、彼の顔芸に押しつけられる形で唐突に説明されるのは虫がよすぎると思う。シーモアの枕射的大会の後だと、アルバートの枕投げも物足りず。シーモアの劇画化によってもたらされるストレスの開放感はよかった。



 竜馬暗殺 [1974]
 監督:黒木和雄 製作国:日本


竜馬暗殺
 「ええじゃないか」と来て食傷気味になってしまい、語り口のスタイルに目を奪われるが、実は記号的な作りなのかも知れない。かといって、ジャンル映画と同じ土俵に置いてしまうと、会話で話が進まないという評価になってしまう。


 監督:ジョン・ファヴロー 製作国:アメリカ


アイアンマン2
 アクションよりも対話劇に演出家の相性があって、序盤の公聴会がスリラーのピークアウトになってしまう。だが、夫婦漫才もそれはそれで時に掛け合いが過ぎて、何を話しているのかわからなくなる。新車発表会で変なポージングをやらされる社長らの恥辱感はうれしい。


 監督:ポール・W・S・アンダーソン 製作国:アメリカ・イギリス・ドイツ


バイオハザード IV アフターライフ
 ミラのセクシィヴォイスとしかめ面が、山崎貴が15億で撮ったような質感を裏打ちし、プロ根性を高らかにしている。





 監督:フランシス・フォード・コッポラ 製作国:アメリカ


カンバセーション…盗聴…
 中年童貞という普遍のテーマへ帰着する技術職の侘びしさがつらい。廃屋の自己陶酔に至っては笑うしかない。人生のホームシックが堅実なスリラーと和解することはないが、この更年期障害を越えたところに『エネミー・オブ・アメリカ』が燦然と輝く。黒澤清化するハリソンにも珍獣感あり。


 シングルマン [2009]
 監督:トム・フォード 製作国:アメリカ


シングルマン
 分節化の激しさには功罪がある。電話の会話のように、カットの割りすぎが男女の心理説明を引き裂きもすれば、心理の錯視が好意の信憑性をめぐる取引を醸し、その性急さがメロドラマの効果に及ぶこともあろう。色々と鼻腔の膨らむ話ではあって、ニコラスが飲み屋に入って来て彩度が上がる件にはもちろん吹き出す。

 監督:羽住英一郎 製作国:日本


THE LAST MESSAGE 海猿
 クエン酸に苛まれるかのような、時任の歪んだ口元のフォルムと、何かあるたびに叫声の合いの手を入れる佐藤の個性的なイントネーションが、人生の達成感を誇示するばかりで、救われるべきサブキャラたちを圧迫する伊藤の悪しきオプティミズムと戦っている。


 必死の逃亡者 [1955]
 監督:ウィリアム・ワイラー 製作国:アメリカ


必死の逃亡者
 吹き抜け居間の立体構造が、ワークやカット割りに頼ることなく、人を動かすことの楽しさを可能にしている。この往来可能な開放感は、時にスリラーの精緻さを損ないながらも、殺人マシンとしての痴人の制御問題を提起するようでもある。



 SP 野望篇 [2010]
 監督:波多野貴文 製作国:日本


SP 野望篇
 顔面を伸縮させて無理やり貫禄を醸し出そうとする香川照之が泥臭い。方法論としては柳葉敏郎と同じだが、香川のそれには愛嬌が微塵もなく、ドブ板議員の悲哀があふれる。が、やはり鬱陶しいことには変わりなく、真木よう子観察の妨害にしかならず。



 マラソンマン [1976]
 監督:ジョン・シュレシンジャー 製作国:アメリカ


マラソンマン
 オリヴィエの放縦さがメインプロットとの関連を失う段階で、映画は世代間の交流や老人同士が無分別に殺し合う高齢化社会の警鐘を越えて、自由な蛮行の浪費的な振る舞いを観察し始める。これに比べると、ホフマンのスリラーは地に足が着かない。



 桜田門外ノ変 [2010]
 監督:佐藤純彌 製作国:日本


桜田門外ノ変
 長谷川京子と中村ゆりを二股にするホームドラマからも、多義性で煙を巻く事件の評価からも大沢たかおのモチベーションを計るのはむつかしい。その割に、というよりだからこそ、人を躊躇なく落伍させる容赦のなさが生々しくなる。


 孤高のメス [2010]
 監督:成島出 製作国:日本


孤高のメス
 早々に充足される夏川結衣のモチベーションが話の発展性の余地を狭め、善人の馴れ合いよりも、生瀬勝久の劇画のように黄昏れる人間性に興味を誘われる。だがその裏では、堤真一のアイドル映画化が着々と進行するのであった。



 監督:三池崇史 製作国:日本


十三人の刺客 [2010]
 救われるべき迷羊の要件を備えるバカ殿に比べ、美意識の資力や当事者性が攻め手には貧しい。その焦りの裏返しで、役所の口から職業的美意識が頻繁に解説されるが、苛烈な行動で造形を表現するバカ殿に及ぶとは思えず、火工品の迫力に甘えている印象がある。

 カラフル [2010]
 監督:原恵一 製作国:日本


カラフル
 記号の集積であるアニメがリアリズムを志向したため、段取りが増えがちになり生気が失われたのか。あるいはリアリズムの文法に不慣れなだけか。宮崎あおいや藤原啓治がよくはまって見えるのは、それだけ造形が記号的で演じやすかったのだろう。



 監督:原田眞人 製作国:日本


クライマーズ・ハイ
 人物に移動量を迫るセットと広角で、心理劇よりも空間性を選択した映画。山崎努の好々爺ぶりも手伝い、内面より解放され揺籃のようにゆるふわとなった北関東新聞編集局がドラマ版に対して行った最大の差異化が堺雅人のアイドル映画化。



 愛のお荷物 [1955]
 監督:川島雄三 製作国:日本


愛のお荷物
 階段を駆け上がる三橋達也と高友子の速度が舞台調でフレームの可動に自由が欠ける山村邸の空間を分裂させない。文弱・技術職賛歌のため安心して見られる。小沢栄太郎も東野英治郎もこの世界では幸福そのものだ。


 さらば友よ [1968]
 監督:ジャン・エルマン 製作国:フランス


さらば友よ
 実感を伴わず愛が醸されたとすると、愛は他者に向かったのではなく、美意識を高める手段となって、ブロンソンの中に閉塞したといえる。しかしアラン・ドロンの心理に傾斜すると、彼のツンデレ映画という見立てが出てくる。



 人生万歳! [2009]
 監督:ウディ・アレン 製作国:アメリカ


人生万歳!
 確信的ゆえにイヤらしき語り手の裁量の大きさのために、前作のように造形の差別化から好意を引き出すのに躊躇を覚えるが、代わりにその裁量が可能にした畳みかけるような造形改変の狂奔がアクション映画のような好ましい佇まいをほしいままにするようでもある。


 暴走機関車 [1985]
 監督:アンドレイ・コンチャロフスキー 製作国:アメリカ


暴走機関車
 ヴォイトの発狂の唐突さから、過去の経緯の強度を立証するのはよいが、スーパー所長ライアンが実際に愛を暴力的に確認する場に至ってヴォイトに尻込みしては、行動の正当性に対する責任が曖昧になる。不条理なオヤジどもが体を張ってエリックを教育した趣。


 トロン LEGACY [2010]
 監督:ジョセフ・コシンスキー 製作国:アメリカ


トロン LEGACY
 経路にルールや制約が薄いのは問題で、軌道に沿って運動する『スピード・レーサー』の方がよほど円滑にカットを繋いでいる。この手の恣意性はプロットレベルでも散見され、オリヴィアやおとんに依存するギャレットには状況を動かしている実感が欠ける。


 クヒオ大佐 [2009]
 監督:吉田大八 製作国:日本


クヒオ大佐
 堺を貶めてなお、彼に騙された松雪らの高潔さを保とうとすると、不幸の斟酌に依存する話をやるしかなくなる。堺らしく作り込まれた陽性の造形は、キャラ間のパワーバランスの繕いに浪費され、物語の陰湿な自我を持て余したように見える。


 監督:デヴィッド・フィンチャー 製作国:アメリカ


ソーシャル・ネットワーク
 プロジェクトや感情移入のきっかけとなるスケベゴコロが、スクールカーストをベースにした説明台詞を出ず、過程という概念も乏しい。物語の目論見としてはスケベゴコロの実体化に関心が向かったようで、最後に、承認を待ち受ける真顔のままに鼻の下が延びる一発芸に帰結。これはよかった。


 フランドル [2006]
 監督:ブリュノ・デュモン 製作国:フランス


フランドル
 イベントから着装に至るまで、現代戦争映画のコラージュが徹底している割に、底意ある高踏とはとれない生真面目さがある。緩く連なった類型の展示に強度は求めがたいが、ひたすら鼻息に気を使うことで愚鈍さを表現するような芸もある。


 監督:ポール・グロス 製作国:カナダ


タイム・オブ・ウォー 戦場の十字架
 キャラ配置が物語の都合に拠りすぎで人事が恣意的となり、移動のフリーハンドが、ここが北米なのか北フランスなのかわからなくなる地理感覚の喪失をもたらす。美が知覚を超えるというよりも、知覚それ自体を受け手が信用できなくなるのだ。



 監督:ラシド・ブシャル 製作国:アルジェリア・フランス・モロッコ・ベルギー


デイズ・オブ・グローリー
 外敵がしばしば不在になるAlliesの戦記が、むしろ積極的に、動機も達成感も倦怠の中に消し込み、夢想のようなホームシックのまどろみを呼び込む。タマの奪い合いよりも、バディ物の近しさが性的な意味合いに至る様に、興行的緊張が担われる。


 監督:ニック・カサヴェテス 製作国:アメリカ


きみに読む物語
 愛が遡及的に確かめられるから、語り手には、実際に愛の実効した回想の現場をお座なりにする余裕が出てくる。回想パートでは、脈略のない出会いと別れと再会に翻弄される恋敵ジェームズ・マースデンに観察対象の資格がある。



 監督:フリッツ・ラング 製作国:アメリカ


復讐は俺に任せろ
 義弟の元に結集するオヤジどもや、復帰したグレン・フォードに恭しく伏侍するオヤジのはしゃぎ振りへの傾注から明らかなように、要は女性不信なのだが、この敵意もグロリアやジャネットの造形として立派に結実している。



 監督:ニキータ・ミハルコフ 製作国:フランス・ロシア


太陽に灼かれて
 表徴と兆候の精妙なる驕慢の中で、ややもすると自分を見失いがちな映画が、苛烈な物腰の中にジャンルムービーの明晰さを思い出す。




 監督:クリント・イーストウッド 製作国:アメリカ


トゥルー・クライム
 天然なのか自虐なのか、語り手の自意識を明かさないところに、老人の性愛を猟奇趣味の瀬戸際に追いやるスリルがある。最後にテンパることで、それが無意識というよりも肉体に善意の宿った結果だったと教えてくれる所長たちもオヤジフェチを煽る。

 懺悔 [1984]
 監督:テンギス・アブラーゼ 製作国:グルジア・ロシア


懺悔
 凡庸こそファナティックというのも、むべなるかなとは思うが、その路線からすると市長を虐待する話にしか見えなくなってしまって、どうも自分にはこのATG映画が苦手だ。




 義兄弟 [2010]
 監督:チャン・フン 製作国:韓国


義兄弟
 ポスコロ的娯楽という批判図式に語り手は意識的で、だからこそコワいオッサン(チョン・グクファン)の造形が立ちまくるのは正しい。しかし、そうなると今度はソン・ガンホの当事者性が霧散し、不思議な田園映画が展開される。



 監督:リチャード・リンクレイター 製作国:アメリカ


スキャナー・ダークリー
 当人は混濁しているのに、風景はロトスコープという強引なディープフォーカスで図解化される。人の無意識を制御して事件に至る話だが、その方法論の映像的解答として、かかる白昼夢のような感覚が利用されている。



 SP 革命篇 [2011]
 監督:波多野貴文 製作国:日本


SP 革命篇
 このまごうことなき堤のアイドル映画にあっては、香川の小物感がやはり不協和音。ところが、堤を制止すべく立ち上がった彼にフレームが寄った時、われわれはその余りの小物臭にかえって衝撃を受けてしまう。香川という造形的悲劇が世界の底に穴を開けたのだ。


 娘・妻・母 [1960]
 監督:成瀬巳喜男 製作国:日本


娘・妻・母
 ホームムービーで高峰を虐使するのは序の口で、それを嘲笑する形で原の人格を貶めるねちっこい私憤(=小津しね)。笠智衆の虐待を美談としてしまうラストに至り、私憤が人類不信を超えてしまうのも、感動しつつ混乱。


 監督:チャン・イーモウ 製作国:中国


あの子を探して
 語り手の情熱がリアルの現場で子役を酷使していそうな臨場感をもたらすと、行動に心理が追従する様が、コミットメントを利用した誘導にしか見えなくなってきて恐怖映画化。




 監督:ニキータ・ミハルコフ 製作国:ロシア


戦火のナージャ
 ナージャの劣化振りが時の残酷さ。方々の造形に宿り引き裂かれた語り手の自己愛が話を散漫にする一方で、独逸人たちの愛らしい生態が総集編のような時の間隙を埋めて行く。




 月光の囁き [1999]
 監督:塩田明彦 製作国:日本


月光の囁き
 マルケンに言及する最後のつぐみが好ましい。このふたりが会話を交わすシーンは皆無なのだが、彼女の言及の示唆する、受け手の知らぬ彼らの生活の映写幕を超えた広がりが、閉塞感を打開してるように思う。



 ヒッチャー [1985]
 監督:ロバート・ハーモン 製作国:アメリカ


ヒッチャー
 出来レースを積極的に開示する心理の謎は前座に過ぎなくて、ルトガーの不可解な造形への興味が、自分だけがルトガーを理解しているという希少性の醸す情熱に取って代わる。あくまでハウエルを立てるという基本に愚直である。



 至福のとき [2001]
 監督:チャン・イーモウ 製作国:中国


至福のとき
 失業したオヤジどものユートピアと美少女の虐待観察の織りなす意識の起伏は、イーモウの夢見るサディズムがまどろむ揺りかごだ。




 赤穂城断絶 [1978]
 監督:深作欣二 製作国:日本


赤穂城断絶
 新劇寄りの芝居から、とつぜん七五調のうなり声を上げる錦之介が面白おそろしく、藤岡琢也の言を待たずして、キチガイ観測という定義付けは明確である。金子信雄の挑発など、こんなキチガイ相手に大丈夫かと、よろこばせてくれる。細川の下屋敷の庭先に人数分の木棺を連ねるといった趣味の悪い画面作りが、キチガイの世界観によく応えている。

 監督:ガス・ヴァン・サント 製作国:イギリス・アメリカ


小説家を見つけたら
 無数にある救い手がスリラーの介在する余地を埋めてしまう。また、そうした宿命性が才能を歓待する同調圧力に転じてしまうと、あくまでそれに屈しようとしないファリド・マーリー・エイブラハムの偏執的なヒール振りから目が離せなくなり、哀れを誘われる。