八月 日々のできごと


過去のできごと
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2002/8/31

忙しくならねばならぬ時期に閑をもてますと、焦りばかりが積もります。しかしながら、狼狽えて物事の解決にはならず、しょうがないので、故郷愛に燃える同僚の埼玉人Sに、かような物をみせました。

「失敬な」

とSは大層不機嫌そうな顔を致しました。


2002/8/30

別部署へ、同僚の新潟人O氏と机を運んでおりました。氏は「別部署のおねいさんたちに俺様が肉体労働しているのを見られる! きゃは♪」とはしゃぎました。

わたしは、心の中で、氏に向かって鼻糞を飛ばしました。


2002/8/29

真夜中でありました。歯磨きをしながら会社の廊下を歩いておると、同僚の北海道人Kと埼玉人Hが屯しておりました。

わたしは、取り敢えず、落ちていた物差しを拾い、北海道人Kの背中をぴしぴしとたたいてみました。

北海道人Kは己の自虐心を刺激されたかの如く歓喜に満ちた表情をし、埼玉人Hはわたしの加虐性を指摘しました。

「むしろ、わたしもたたかれる方が好きなのですよう。とくに、おねいさんに」

とわたしが申すと、ふたりはカラカラと笑いながら、「最悪だ」と云いました。


2002/8/28

ファックスを送ろうとしておりました。しかしながら、受信中で紙が次から次へと吐き出されて来る有様だったので、取り敢えず、待つことに致しました。

なかなか終わらず、たいへんな暇を感じたわたしの目に、職場の隅に佇んでいる台車が入りました。わたしは台車にのっかり、狭い職場をくるくると走り始めました。

同僚の北海道人Kめが、うれしそうに破顔して申しました。

「ついに、阿呆になったのですか?」


2002/8/27

「にゅうどうぐも! くれーんの向こうのにゅうどうぐも!」

徹夜明けの朝は、すべてものがうつくしく見えるのです。


2002/8/26

勤勉意欲に燃え、いそいそと労働に励んでいたわたしは、隣から薄気味悪い圧迫感を感じました。見れば、同僚の埼玉人Sめが、高く調整した己の座席から薄笑いを浮かべて、こちらを見下ろしておりました。

「座高を高くして嫌がらせをするとは――、小賢しい」

とわたしがもっともな非難を致すと、Sめは「えむやまさんは自意識過剰なのですよ、はっはっはっ」と嘲笑し、ますます持ってわたしは口惜しき思いに苛まれるのでした。


2002/8/25

早く起きてビデオを眺めても中途で失神。飯を作りすぎて満腹のあまり失神。その後、泣きながら休日出勤を致しました。


2002/8/24

同僚の新潟人O氏は、しみじみと語り始めました。

「三十路過ぎになって、事ある毎に親戚からメールが来るんだよ。『いい人見つかったかい?』と。君に解るかネ、この気持が」

氏は随分と乾いた笑いを含みながら、そうおっしゃるのですが、わたしには「解るわけがない」と申しあげることしかできません。ただ、そのときのわたしは、いつか氏のおっしゃっていた言葉を思い出しておりました。

「むかしはよく、『あなたの周りにはいつも人がいるんだね』と云われた物だよ。君とは大違いだネ」

その時、氏がなさっていた暗くて明るい不思議な表情を忘れることは出来ません。


2002/8/23

「埼玉は“彩”のくにですよ!」

と、おのれの故郷を侮辱された同僚の埼玉人Hが、鼻息も荒く申して参りました。わたしの脳裏には、モノトーン(灰色)の荒れ地が、浮かび上がってくるのでした。


2002/8/22

昨日は確か、荷物を手に階段を上下しておりました。

三十路とは云え、脳味噌まで筋肉で造形されている同僚の新潟人O氏と違い、折れんばかりの(しかし、これまでの人生で骨折などしたことはないのです)細腕であるわたしは、か弱い悲鳴を上げながら、過重な労働を強いられておりました。

翌日、筋肉痛に苛まれ起きたものの、時計を見れば出社までやや間もあり、小一時間ほど映画なんぞ見ようとテープをデッキに入れました。そして、ついつい見入ってしまい、またしてもダメ子ちゃんになってしまう過ぎゆく夏の日々なのでした。


2002/8/21

職場の移転に伴い、座席の位置も変わりました。

新しい席に座った上司の沖縄人C氏はおっしゃいました。

「ここは西日がきついんだよな」

わたしは申し上げました。

「よいではないですか。Cさんは西日が似合う男ですから」


2002/8/20

職場の移転に伴い、ずっと会議室で荷物の箱詰めをしておりました。

次第に腹を減らし、心持ちを悪化させたわたしは、そばにいた同僚の埼玉人Sめに、かれの愛してやまないところの故郷、埼玉の魅力について問いました。Sは答えて曰く

「住むのに悪いところではないのですよ」

妙に消極的な言い様をするSに、わたしは「もっと詳細に云ってもらわねば、わからんのですよ」と申しました。Sは何を言ってよいのかわからぬ苦渋の表情をしました。

「畑と林があるのですよ」

「近くにコンビニとビデオ屋があるのですよ」

「冬になると星がきれいですよ」

腹を空かしていたわたしは、何か食べ物に関して良きものはあるかどうか、尋ねました。Sはぱっと明るい顔になりました。

「あっ、草加せんべい」


2002/8/19

人生を俯瞰するが如く、余裕の態度で達観する男、同僚の兵庫人Mが、逼迫するスケジュールで喘いでいるのを見て、嫌らしきわたしはたいへんな喜びを感じて、「ほほほ」と平安貴族のやうな音声を発して、Mめのもとに近寄りました。

機嫌の悪かったMめは、「うぬれ、ヴァルタン星人め」とわざわざ下唇をかんで、意味の無き批判を致します。

「いつもいつも、2chざんまいだったMくんが、こんな目に遭う日を待っていたのですよ」とわたしが申しておると、同僚の埼玉人Hめが、近寄ってきて、己のスケジュールのなさを何やら自慢いたします。

しかしながら、わたしとMからみれば天文学的な余裕があるHめは、まだまだ、われわれのクラブに入れるわけにはいかないのです。


2002/8/18

同僚の北海道人Kめが、皿を洗っておりました。わたしは、Kめに親愛の蹴りを入れようと、野生の咆哮とともに突進するのですが、それを実行に移す寸で、わたしの身体はぱたりと停止してしまいました。

わたしは、おのれが蹴りの入れ方すら忘れてしまったことに、気がついたのでした。


2002/8/17

「君より遅く来て、君より早く帰ることにするヨ」

と、帰宅されんとする同僚の新潟人O氏が、ふてぶてしく仰りました。

「? 何か云いましたかな」

わたしがそう聞き返すと、氏は

「何でもないんだよネ」

と不機嫌そうにおっしゃい、帰って行かれました。


2002/8/16

職場が近日中に引っ越しすることになり、引っ越し先の整理をしておりました。

かの場所は、三階にあり、窓にはブラインドがついております。

わたしは喜々としてブラインドに指をっこみ隙間を作り、「山さんが死んだ」と云ったり、道路を見下ろして「虫けらのやうだ」と云ったりして興奮いたしました。


2002/8/15

朝→カレー
昼→カレー
夜→カレー
夜中→カレー

つまり、困難なときほど、人生には幸福が必要とされるように思うのです。


2002/8/14

「夏♪、夏♪」と元気を大いに空転させつつ、三鷹の朝を歩いておりました。衰弱した蝉が、ぺちっと足下に墜ちて参りました。


2002/8/13

幸福の受容感度は、二杯目のビールの如きものと、会議室の床で半ば失神しながら考えておりました。

二杯目のビールは一杯目のビールより価値が下がるがゆえに、人々はその逓減を埋め合わせるために三杯目のビールを吸引しなければなりません。そして、終わりまでそれは繰り返されるのです。

床に仰向けになって倒れ込んでいたわたしは、姿勢の苦しさをやや感じ、両手を添えて身体を横にし、かわいげのある姿勢になりました。途端に楽になり、「はにゃ〜ん♪」と幸福になりました。

それから、二時間ほどたち、起床したわたしに向かって同僚の忌々しき新潟人O氏が、仰いました。

「君ィ、随分気色の悪い眠り方をしていたネ。キモイキモイ」


2002/8/12

嫌らしき曇天下、麗らかなき昼下がり、わたしが車に乗ろうとしていると、向こうの方から同僚の新潟人O氏のおやぢ臭い原付がやって来ました。氏の出社でした。

「わたしより早く帰っているくせに、わたしより遅く来るとは何事ですか」と氏に言葉を浴びせると、氏は口惜しそうな表情をされ、わたしはたいへん清々しき心持ちになりました。


お盆真っ盛りです。ぼん、ぼん、ぼ〜〜〜ん。


2002/8/11

会社の床に仰向けになって、気を失っておりました。

同僚の埼玉人Sとともに、外から戻ってきた上司の沖縄人C氏が、かような状態のわたしを一瞥して、「アハハ」と発しました。

その後、氏は埼玉人Sめに、「俺様は人の精神をいらだたせて、会社の雰囲気を和やかにするんだよう」と異様に明るく語り始めました。


2002/8/10

甲子園球児の熱い青春のほとばしりを見るにたびに、あの遠き夏の日の漆黒たる思い出が蘇って参ります。

誰もが輝ける青春を送れるものではないと気づいたのは、高校生の時だったでしょうか。そんな高校時代のとある夏、野球に関しては超級的に弱小であったわが母校が、何を間違えたのか、地方予選の準決勝あたりまで進出して参りました。

対戦相手を見るに、試合開始直後に玉砕することは誰にでも解っていた事でしたので、わたしはそのささやかな快挙にも「ふ〜ん」といった印象しか抱き得ませんでした。

しかし、高校上層部の考え方はそうではなかったらしく、「応援強制参加、球場で出席を採る」という判断によって、無邪気な興奮ぶりを露わにしたのでした。

炎天下の中、わたしは顔を青ざめさせながら、粗末な球場のベンチに腰を下ろしました。応援という行為が、時間の無駄としか思えないたいへん厭な性格であったわたしは、『ソクラテスの弁明』を鼻糞をほじりながら読みはじめました。夏の読書感想文用でした。

攻守が変わり、愛するわが母校の攻撃となったとき、更なる恐ろしい命令が下りました。

「こちらが攻撃の時は起立せよ」


試合は五回コールド負けでした。


2002/8/9

空の汚き関東平野も、その周縁まで足を延ばせば、なかなかどうして青く大きい空が広がるのです。

駅に降り立てば蝉の声も心地よく、空を仰げば川崎C-1が、葉巻のような胴体を浮かべて、北へ去って行き、たいへん奥床しい。

しかしながら、小一時間ほど歩いておれば、夕方とは言えども、灼熱の夏。繊弱なるわたしは、会社に戻るや否や、会議室へ駆け込み、長机の下へもぐり込み、暫しの失神と相成りました。

半時ほど経ちました。何の用かは存じませぬが、同僚の新潟人O氏がやって来て、長机の下を覗き込まれました。

「気持ちよさそうに寝ているネ」

北陸の根暗い粘着的気質を体現するかのような氏は、吐き捨てるように仰いました。


2002/8/8

日常の点景

昼下がり、同僚の新潟人O氏が、憂いの表情でおっしゃいます。「僕みたいになっちゃ駄目だよネ」


夜、上司の沖縄人C氏が、食い入るようにアニメ雑誌をご覧になってました。この職に携わる者の例に漏れず、日頃、アニメに対してシニカルな氏のその熱心さは奇妙な物があり、取り敢えず冗談でお尋ねしました。「声優CDの広告でも載っておったのですか?」

そうでした。


夜更け、もうすぐ仕事が終わらんとする同僚の埼玉人Sめの余裕ある様子を見て、同僚の福岡人I氏が底の見えない根暗い声で、ぼそっと呟きました。「あ〜〜あ、Sくんは暇そうだなあ」。


2002/8/7

夜更けに公園を通りすぎると、外灯のあかりに酩酊した蝉が、騒々しく鳴いておりました。厭な比喩が心の中に浮かんできそうになったため、そそくさと立ち去るのでした。


2002/8/6

借金苦に苛まれる同僚の新潟人O氏が、財布をのぞき込んでおりました。クーポン券や怪しげなカードの詰まったそれを拝見して、「おばさんの財布のやうですね」とわたしは申し上げました。

「何を云うとるのかネ、君は」と氏はおっしゃいます。「見よ。ブック・オフ一号店のカードだぜい。はずれ馬券も入っておるのだ」

「何を汚い財布を見せびらかせているのですか、浅ましい。わたしの財布のこの清々しさをご覧になってください」とわたしは云います。

「八百円しかはいってないのですよ」


かみさま、哀れなるわたしたちを救ってください。


2002/8/5

書類を取りに、上司の沖縄人O氏の机に近寄ってくると、「何をしに来た、この淋しんぼうめ」などと、心外なことを申します。

たしかに、わたしにかような属性があることを否定は致しませんが、氏とて、ひとりでは食事もできない寂しがり屋であるのです。

「自己の内面的習癖を他者に投影するものではないですよ」とわたしは抗議の声を上げました。


結局、みんな寂しがりやさんなのでした。


2002/8/4

「青空! せみのこえ!」と云う単調な夏の形象に興奮いたします。わたしは、のほほんと構える同僚の新潟人O氏に尋ねました。「夏休みは、どれほどとられますか?」と。

氏は「十日ほど欲しいネ」と申します。

それほどあれば、田舎にでも帰ってゴロゴロ夏の日々を満喫して、体重の爆発的増加を被って狼狽えたりしたいですねえ、などとわたしが申し上げると、氏は「君は田舎に帰っても、友だちなんていないのだから、とても寂しい休暇になるだろうネ」と酷い云いようです。

氏は、さらに言葉をつつけます。「その点、俺様なんぞ、友だち一杯で旧交を温めまくりなんだよ。でも、帰るカネがないんだよネ」と。

「じつは、友だちと思っているのはOさんだけはないのですか?」と調子をこく氏に、わたしは申し上げました。氏は曖昧な笑顔で「どうして君はそういうことは云うのかなあ」とおっしゃいました。


2002/8/3

「頑張れ、頑張れ」と云う強迫的な激励の文句を浴びて不快を感じるのは、往々にしてそれを云った本人がもっともその言葉に値するからではないかと、上司の沖縄人C氏の爽やかな笑顔からでた「かんばろう」を聞いて、思うのです。


2002/8/2

深夜に車を走らせておりますと、駐車場で花火に興じる恋人たちが目に入ります。そのはかなげな情景は、小学生の頃のある哀しい夏の日を回想せしめます。

無邪気なお子様であったわたしは、その日、トイレットペーパーの芯にロケット花火を複数個くくりつけて、大空へ飛ばすことを思いつきました。

補助ブースターに束ねられたトイレットペーパーという不気味な姿から、「ロシア方式」と名付けられたかのロケットに、わたしは喜々として点火して行き、ベランダの軒先でその発射の瞬間を待ちました。

打ち上げられたロケットは、本来であればゴミ箱へ安らかなる直行を迎えたはずのトイレットペーパーの怨念を晴らさんとするがごとく、創造者たるわたしのところへ目もくれず突進して参りました。

わたしは泡を吹きながら首を竦め、ロケットを鼻先にて通過せしめました。それから半秒後、「ロシア方式」によって大宇宙へ無理矢理挑まされたトイレットペーパーは、ブースターの自爆とともに、四散したのでした。


2002/8/1

稲光の中、明治通りを駆け抜けるのは、何やらV-2ロケット空襲下のロンドン市民な感じで、ドキドキ致します。