七月 日々のできごと


過去のできごと
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2002/7/31

隣席の同僚、東・東京人Kが早々に仕事を切り上げ、帰って行きました。その空いた机に、同僚の忌々しき新潟人O氏が、臭い足を載せて、おもむろにサンデーを開き始めました。

ここ一年来の氏の仕事が完結を迎えんとしているためか、恐ろしく涼しげなご様子に、いと腹立たしき心持ちが沸き上がって参ります。

「わたしに臭い足を向けるのではないですよ」と抗議の意を表すると、氏は朗らかな顔で微笑まれるのでした。


2002/7/30

大層長く、車に乗っておりました。夜更けに会社へ戻り、「一日の仕事の後は、ファンタ(グレープ)ですの」と大変高揚した気分になりました。

二十代半ばの暑い夏が、まさにはじまらんとしているのでした。

(そして、すぐに終わってしまうのです)


2002/7/29

日曜日に出勤して、会社のトイレ掃除をするこのいぢらしさ、と気分を興隆させておりますと、憎く憎くしき同僚の新潟人O氏が、「日曜日にこれ見よがしに働いていることを誇示しおって」と言われ無き批判をおっしゃいます。

わたしが「でもでも、きれいになったぢゃ、ありませんか」と涙目で返すと、氏は「自己満足だネ」とおっしゃいました。


2002/7/28

蝉の声がやうやう聞こえくるようになり、真夏の予感に興奮を感じ、同僚の新潟人O氏の愛車を奪って、クーラー全開で発進しようとすれば、すかさずエンストで立ち往生してしまうのが、人生の機微というものなのです。


2002/7/27

夜更け、わたしがドジなメイドロボの魅力を沸々と同僚の北海道人Kに語っておりました。それを見た、上司の沖縄人C氏が申しました。「忙しくなると、狂いだすよなあ、君は」

いたく憤慨したわたしは、いつだっておのれが平常心であることを申し上げるとともに、「車に国府田マリ姉のCDを大量に積んでいる三十路男に左様なことを云われたくはないのですよ」と実にもっともな抗議の声を上げたのでした。


2002/7/26

暗い高校時代のある小春日和、余興にテニスのまねごとをしてみました。素人同士であるゆえに、飛んできた球は鈍重なわたしでも打ち返すことが出来るのですが、あらぬ方向へ飛んで行く始末でした。

同僚の新潟人O氏にこのことをお話申し上げると、氏は「要するに、“らり〜”がつづかないのだネ」などとおっしゃいます。

わたしは氏に「なにを“らり〜”などと専門用語を使っているのですか」と批判を投じると、氏は「俺のしたことのないスポーツはラクロスくらいだよ」と申します。

すると、このやりとりを向こう側で盗み聞きをしていた同僚の埼玉人Sが、突然われわれに嘲笑を浴びせてきました。

われわれはSのところに出向き、左うちわに『セキララ結婚生活』を鷹揚に眺めている新人らしからぬきやつめ態度を激しく糾弾致しました。


2002/7/25

会社の倉庫を整理しておりました。段ボール箱の山を前にして休憩しておりますと、同僚の新潟人O氏が、「君を見下ろすのだよ」と云い、段ボールの上によじ登りました。

わたしは、氏に見下ろされるのはなんたる屈辱と思い、負けじと段ボールの山に飛びかかり、氏より高座に席を占めることにつつがなく成功いたしました。

暫くして、気づいたのでした。怖くて降りられなくなっていることを。


2002/7/24

精神に余裕のあることは、よきこと哉。でも、疑問に思うこともあります。

御自分のお仕事が後一息で終焉を迎えんとしている同僚の新潟人O氏は、最近は何かと浮かれ気味のように見受けられます。

まだ業務の端緒がついたばかりのわたしが、健康まっしぐらな昼食を摂っておると、「無駄なことだネ」とおっしゃい、わたしのか弱い神経を逆なでなさります。

かと思えば、隣席の京都人Tの椅子に足を投げ出し、特撮オタであるところの埼玉人Sから借り受けた怪しき書物を眺め、「カクレンジャーのホワイトはよいネ」と実に嫌らしき笑顔でおっしゃいます。

三十路過ぎの氏の遅すぎた青春は、今まさに、始まらんとしているように思われるのでした。


2002/7/23

べたなことを云えば、夏と云うものは、七千光年離れた白色矮星みたいなものかと思います。夏から遥かに遠い厳寒の中で、焦がれて止まないものの、いざ近くにやってくると、ひとびとに悲鳴を上げせしめます。

陽炎の立ち上る中、暑苦しい格好で歩くのは、他者に対する嫌がらせかも知れません。わたしは、真冬に半袖で走るという今から考えれば空恐ろしい行為を喜々として成していた小学生低学年のじぶんを思い出していました。

小雪がぱらつく中、半袖でぼ〜っとそとに突っ立ているわたしをみて、通行人のおばさんがすごい顔の造形をしたのを覚えております。

わたしは、もはや、冬を半袖で過ごせるような気力を失ってしまいました。しかしながら、ひと夏を長袖で過ごせるような気力は未だ残っておりました。

だから、わたしは、おばさんという名の世間に復讐を続けるために、こうやって真夏に冬の格好を――。


すいません。うそをついていました。クーラーが苦手なだけです。


2002/7/22

あれは、三ヶ月ほど前のある暑い日のことだったと記憶しております。

前日、散髪をして出社したわたしを見て、同僚の新潟人O氏は「夏だと浮かれおって」と云う意味の不明な批判を浴びせて参りました。

先日、日曜日、わたしは散髪を致しました。また、氏に言われ無き批判を受けるであろうと小学生のような心持ちで出社いたしました。

果たして、氏は嫌らしき笑顔で申しました。「髪を切るとは余裕だネ」

でも、「乳製品が好きだぜい」と公言して憚らず、会社で牛乳を飲み過ぎて腹を中破せしめた氏の方が、余程精神の余裕を謳歌している筈なのです。


2002/7/21

健全なるお子様であれば、一日中テレビを眺め、コンピューターゲームにうつつを抜かしたいと願うのが人情といえるでしょう。

ただし、家庭内における教育的配慮により、それは果たせぬ夢と相成ります。

やがて、お子様は成長し、幾らモニターの前に座っていても非難されない身分になります。成長を遂げれば、それを咎める家族というものが、周囲から居なくなってしまいます。

すげえ幸せです。

でも、いちばん怖いことは夢が叶うことなのですよ(←剽窃)。


2002/7/20

夕暮れ浮かぶ月は、なかなか風情のあるものではありませんか。ただ、家を出るとき見えていた月は、会社について見上げれば、どこかに雲隠れした模様でした。

(月が見えない→月=ツキ→ツキがない→!!!!)

よく解らないのですが、バッド・トリップが静かに始まりました。


2002/7/19

暗くなっても熱気の冷め止まぬ、暑い夏の一日でした。

上司の沖縄人C氏が、あまりにも見事な太鼓腹を揺らしながら、通り過ぎようとしておりました。

思わず、わたしは氏に申しました。「携帯のアンテナをその腹に突き刺して宜しいですか?」と。

氏は得意げに申します。

「やめとけ。あんてながおれるぜい」
「?」
「なにしろ、鋼の腹だからな」

わたしは天井を見上げ、見えるはずもない青空を仰ぎました。


2002/7/18

クーラーのあまり利かぬ職場は、ひとびとを微妙に汗ばませていました。

上司の沖縄人C氏が、愛用のジオン軍うちわを左手に持ち、もなかアイスを幸福そうに咀嚼しながら、近寄って参りました。

氏は申しました。「クーラーついてる? あついねえ」

わたしは、その信じられない光景を見ながら、取り敢えず「三十路過ぎたら、人前で堂々とアイスを食う権利をにんげんは喪失するのですよ」と氏に申し上げました。

氏は「くそう、年齢制限があるのか」と悲しそうな顔で呟きました。


2002/7/17

物の本によれば、強姦がなぜ悪いのかと申せば、強姦の対象となったおねいさんの選択肢を狭めるからだそうです。

強姦前のおねいさんには、ふたつの選択肢があったと仮定してみましょう。
一、外灯なき近道を用いて帰宅する
二、外灯付きの遠回りの道を用いて帰宅する

おねいさんはいつも暗い近道を用いて帰宅していたのですが、ある日、そこで強姦されてしまいました。その心のキズのため、“一”の選択肢はおねいさんの中から破棄されるのでした。

だから、強姦は罪なのです。


さて、同僚の埼玉人Sの机に、ポカリスエットのペットボトルがのっかっていました。当人は、それを前にしてコーン入りおにぎり(母親製)を頬張っておりました。

そんなしあわせな情景に怒気を感じたわたしは、「英語圏の人間はポカリスエットを“飲む汗”と誤読しがちで、厭な顔をするそうですよ。汗=小便ですよ〜」などと云いました。

翌日、かの机からポカリスエットは撤去されていました。


2002/7/16

熱波で揺らぐ道路を歩いておりますと、「ああ、会社員しているなあ」と奇妙な喜びがわいて参りました。

会社に戻る頃にはヘナヘナになっており、席に着くや机にうずくまりました。後ろの方から、「夏バテで食欲がないよ〜」と云う同僚の兵庫人Mの情けない声が聞こえて参りました。

そういえば、わたしも腹の空く気配がいっこうに見られません。「すわ、夏バテか」と思うも、夜になれば腹が鳴り始め、再び机にうずくまるのでした。


2002/7/15

最近、上司の沖縄人C氏に反抗を見せつつあり、入社時の初々しさを喪失しつつある同僚の埼玉人Sが、生気を失った眼でペーパーナイフかざし、社内を彷徨していました。

「あぶないなあ、同僚の福岡人I氏でも刺すのか?」と無邪気な顔で沖縄人C氏がSめに問いかけました。

Sの本当の狙いがC氏自身であることを気づくには、沖縄の海はあまりにも青すぎたのです。


2002/7/14

日曜の爽やかな朝に浮かれ、同僚の新潟人O氏が口笛を吹きつつ指を鳴らしながら会社に入ってきました。氏は「今日の空は最高だネ」と云いながら、帰り支度を始め

「セーラームーンの再放送はもう終わったかなあ」

などととうれしそうにのたまい、出て行かれました。


2002/7/13

その夜、同僚の新潟人O氏は、熱く語っておりました。

「新潟は良いよう。食べ物が美味しいよう。米所だよう」

そこで、わたしが「具体的に何が旨いのですか?」と尋ねると、「新潟であれば何処でも旨い」と満面の笑顔で申しますので、「ファミレスでも旨いのですか?」と尋ねてみました。

氏は「君はどうしてそんな歪んだ見方をするのかねえ」と溜息をつき、『雨に唄えば』を口ずさみながら小雨の外へ立ち去って行かれました。


2002/7/12

同僚の新潟人O氏や同僚の福岡人I氏が、気性が荒く五月蠅き日々で目障りでした。新潟人O氏が酔っぱらいの如く「君暇そうだねえ」などと絡んで参りました。

わたしはそんな氏を挑発するが如く「いそがしいのですよ」とわざと暇そうに申し上げました。

すると別方向からI氏の「むかつくむかつく」という念仏のごとき小声が聞こえて参りました。

「何を言うとるのですか。45日後にはI氏の十倍働いているのですよ」とわたしが申し上げるとI氏は、

「きみはただ、床に転がって泣いているだけぢゃないか」

などと本当のことを、語気を強めて吐き出すのでした。あああああ、くそったれめ。


2002/7/11

台風一過というものはたいへんドキドキ致します。黒い雲、白い雲が混じり合う向こうに見える青空が何とも言えず素晴らしい。

青空マニアのわたしは、心興奮させて夜明けの街を歩いておりました。ただ、ドキドキしているだけではもったいないとも思う嫌らしき功利心が沸き上がってきて、家につくとカメラを取り出し再び外へ飛び出しました。

住宅街の狭い路地から見上げる小さな青空も素晴らしいが、今日は大きな青空を撮りたい。そう考えたわたしは、血眼になって物干し竿に掛かる下着を探すが如く、雑多な阿佐ヶ谷の裏道を彷徨い始めました。

行けども行けども視界はいっこうに開けないのでした。


2002/7/10

次なる業務が動き始め、わたしは机の上に製本した書類の山を築いておりました。取引先の催促から逃亡を図っているらしき上司の沖縄人C氏が、ひょこっとを顔を出し、こちらに近寄ってきてわたしの製本のあら探しを始めました。

「あら探しとは厭らしいのですよ」

わたしの批判を受けるその背中は、なんとなしに寂しげなのでした。


2002/7/9

韓国の取引先から送られてきたラーメンの山(賄賂)を見て、人生の機微をわたしは考えるのですが、そこから目を逸らして、同僚の埼玉人Hの机を見れば、そのラーメンを大量占有している模様が見受けられました。

「下っ端のくせに何事であるか!」

と興奮して人生の機微なんぞどうでもよくなるのでした。

ついでに、隣でシャドーボクシングを始めた同僚の新潟人O氏が目障りだったので「何をやってるのですか」と氏を責める熱い夜でした。


2002/7/8

とにかく大変暑い日で、ヘナヘナしておりました。あまりにも暑いので、職場の片隅に立てかけてあった使用済みの蛍光灯でライト・セーバーごっこをやろうとしたのですが、同僚の京都人Tに止められました。


2002/7/7

映画館へ行って参りました。スクリーン全面を埋め尽くす西田敏行の顔が見放題で、幸せと困惑を感じました。


2002/7/6

職場にてふらふら屯していると、同僚の北海道人Kが、無造作にティッシュを鼻の穴に挿入した惚け顔で歩いて参りました。

「人前で堂々と鼻血を噴出させたことを知らしめる痕跡を晒すその羞恥心のなさは何事ですか」

と意味のよく解らない批判をKめにたいして行うのですが、おもえばわたしはここ最近鼻血を流していないことに気がつきました。以前は、よく垂れ流していたのですが、どういうことかと考えます。

きっと、いやらしいことを考えなくなっているのでしょう、とわたしは密かにほくそ笑むのです。


2002/7/5

朝早く目を覚ましました。まだ出社まで間がありましたので、愚かなわたしは「映画鑑賞〜♪」とおもむろにデッキにテープを突っ込みました。

映画が終わってもまだ時間がありました。空腹を感じたわたしは取り敢えず寝床に横たわってみました。

こうして、わたしは超社長出勤となったのでした。ごめんなさい。


2002/7/4

出社したところ、何やら健康そうな食事を同僚の新潟人O氏がなさっていました。

「何を生意気に健康志向ですか」と錯乱気味にわたしが尋ねると、氏は「俺は後百年生きるからねえ」と朗らかな笑顔で応えるのでした。


2002/7/3

同僚の東北人Hさんが、すごくくだらない洒落を新潟人O氏に云って、そのくだらなさにじぶんで高笑いをされていました。

もうほんとうに、だらだらした嫌らしき一日でした。


2002/7/2

夜更け、同僚の新潟人O氏と京都人Tを前にして、「プロの軍人とはかような銃の持ち方をするのですよ」と紙袋を抱えたわたしは蕩々と吠えておりました。

そこに、今まさに帰らんとする同僚の東北人Eしが通りかかりました。

大層興奮していたわたしは銃に見立てた紙袋を氏に向け、「ぱんぱんぱん」と音声を発し上げました。

氏はどう反応したらよいかわからない困惑した表情をされ、そそくさと立ち去っていったのでした。


2002/7/1

代休明けですが、取り立てて急を要する仕事も無かろうと鷹揚に構えておりました。すると雑事を頼まれ、わらわらとなりました。

一段落が付き、腹を空かして机でうずくまっていました。社内の百円自販機でミルクティーを買い、それを飲みながら同僚の新潟人O氏が仕事をしているのをぼ〜っと見ていたら、
「ぐびぐびうるせい」と氏は云われました。

あんまりにもお腹が空いていたので、ついつい喉を鳴らしてしまったのです。お許しを。