五月 日々のできごと


過去のできごと
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2002/5/31

熱い熱い夏の予感に伴い、会社の自販機が「冷たい」飲み物でいっぱいになりました。上司の沖縄人C氏は「ドクターペッパーが入ったぜい!」と無邪気な笑顔を振りまき、部下の埼玉人Sにその吸引を迫ると共に、自らも喉を鳴らしながらドクターペッパーを飲み干し、満足そうに目を潤ませました。

ドクターペッパーを好まないわたしは、その信じられない景観に呆れ、「ドクターペッパーなんぞ変態の飲むものです。男だったら断じてファンタです」と氏を批判しました。

氏は「このお子ちゃまめ」と強がりを言いますが、変態とお子ちゃまではどちらがよいのか、答えは明白なのです。


2002/5/30

向精神薬を服用した同僚の新潟人O氏は、膨大な愛と勇気を軽やかにまき散らし、わたしの不興と殺意を誘起せしめました。


2002/5/29

打ち合わせで余ってしまった煎餅を「うまいですの〜、うまいですの〜」とかじっていたときのわたしは確かにしあわせだったのですが、視線を机の方へ向けると、書類と紙袋が散乱しておりました。

あらぬ方向へすごい勢いで立ち去ってゆくしあわせの後ろ姿を暫し見つめていたのですが、それが完全に見えなくなって、ふと視点を落とすと、同僚の東北人Hさんが、返り血を浴びたようなTシャツを着て突っ立ていて、大いに恐怖したのでした。


2002/5/28

家路への途中で立ち止まり、きれいな朝焼けを眺めていると、前触れ無くカラスの糞が足下に落下し、大いに肝を冷やしました。一日は「ぴちゃっ」という厭な音と共に終わりを告げたのでした。


2002/5/27

会社へ向かおうと家を出たら、雨が降りそうなお天気だったので、傘を持ち出しました。三十分ほど歩いて会社の近くにやってくると雨が降り出し、傘を差しました。

「自然め、今回は俺様の勝利だ」と思ったのでした。


2002/5/26

日曜の夕方ではありましたが、会社へ行かねばならぬ用事があり、その道すがらで夕食用の弁当を買いました。店内を出ると夕立に見舞われ、「あれあれ、○○ったれめ」と悪態をつきながら、軒先で雨宿りを致します。

雨はすぐに止みました。歩きながら眺める西の空は、気味の悪い終末の色合いでした。


2002/5/25

入道雲立ち上る夏らしい青空は大変けっこうなもので、「あの青空の向こう、何があ〜るのかな♪」と出勤途中に空を仰いで思うのですが、きっと何もないのでしょう。


2002/5/24

前を走る車が妙な機動を見せ、気味悪く思ったわたしは車線変更をしたのですが、何だったのでしょうか。気分が高揚していたのでしょうか。それとも失神気味でふらついていたのでしょうか。


2002/5/23

夕暮れの三鷹の街を彷徨っていると、おねいさんを膝枕するお兄さんを見かけました。今日の夕焼けは素敵でした。


2002/5/22

同僚の東北人E氏が帰宅するとき、「わたしより遅く来て、わたしより早く帰るとは何事ですか」と過労のあまりにわたしが狂を発すると、柔和なE氏はとても困惑した顔をされるのでした。


2002/5/21

同僚の京都人Tが鼻血を噴出させていました。同僚の新潟人O氏は、何かものすごく汚らしきものを見ているような顔つきをなさっていました。あの鼻血は、ある程度の密度に達し臨界を越えると、一滴で百億人を殺すくらいの毒性を持つに至ると、わたしは密かに睨むのです。

その夜、新潟人O氏が姓名判断のサイトを覗いていました。わたしは得意げに「わたしの姓名はたいへんよいのですよ」と自慢を致します。親がその手の本を読みながら名前を付けたので当たり前なのですが、このわたしの発言を聞きつけた上司の沖縄人C氏は「だったら、全然あたってはいないではないか」と評しました。わたしは氏の笑顔に向かって、そばに転がっていた煎餅の飽き袋を投げつけたのでした。


2002/5/20

止めどもなく積まれていく業務の山に、あへあへと悶えておりますと、同僚の新潟人O氏と東北人Hさんが「こころおやだかに〜♪」とジェスチャー付きで唱和をおっぱじめました。反応に困ったわたしは、とりあえず、新潟人Oさんの背もたれに向かってそばにおちていた紙袋を投げつけてみたのでした。


2002/5/19

皆様におかれましては、いかがなお休みを過ごされたのでしょうか。わたしは一六時間気を失い続け、起きてみると日曜がとんでもない勢いで過ぎ去った後でした。


2002/5/18

「ベッドの中ではいつでもベイビーだぜい」
(同僚の徳島人Y)


――そして、日曜の朝を会社で迎えたのでした。


2002/5/17

「もうだめですの」と夜の七時頃に気を失い、顔面を机に押しつけました。連日、業務は膨大を極め、頻繁に失神を催している様を呈しております。

意識が回復して、マシンのモニターを見上げれば、あれから四時間ほどが経過しており、わたしが気を失っている間に、世界が容赦なくぐるんぐるんまわっていたことを知りました。

ああ、どうしましょう。


2002/5/16

会議室の長机に転がり、天井を見ながら考えました。

「ここは一体どこなのでしょう」

などと感傷に耽っていると、会議室がたいへん寒いことに気づき、これはたまりませんよと這々の体で、わたしの机に戻り、あらためてそこで失神を試み、それを果たしました。

小一時間ほどが過ぎ、同僚の方々の陽気な笑い声で目を覚ますと、アレルギー気味の目玉が涙で満たされていました。

「こういう涙は、もっといい場面で落ちたかったんだろうなあ」((c)真心ブラザーズ)と思うのですが、では、如何なる場面がそれに相当するのでしょうか。

わたしは、ギャルゲーをやっているときの醜い自分の姿を、その時心に浮かべていました。ついでに、涎まで流れてきて、「今日はこれくらいにしておくか(というか、これくらいで勘弁してください)」と、知らぬ間に訳の分からぬことを呟いているのでした。


2002/5/15

ここ数日の多忙により、疲労したわたしが青い顔をしながら仕事に勤しんでいると、童女愛好家の同僚、徳島人Yが「構ってもらいたいのです〜」と嬌声を同僚の新潟人O氏に向かって放つのが聞こえました。

たいへんな苛立ちと共に、「人はみな孤独の中〜♪」という和田アキコの幻聴が耳に入ったような気がいたしました。


2002/5/14

今日もたいへんな眠気を感じ、会議室へ駆け込み、長机の上に転がり込みました。気を失おうとしていると、隣で物音が聞こえます。どうやら上司の沖縄人C氏が、取引先からかかる執拗な電話を逃れるため、暫し身を潜めている様子でした。

会議室の窓から差す薄い西日が、負け犬の溜まり場をいっそう哀れにしているように思われたのでした。


2002/5/13

昨日から眠くて眠くて、「いくらでも寝れるよう〜」と楽しく糞を焼きます。出社してもまだ目が覚めず、一仕事が終わると会議室へ行き、長机の上で仰向けになりました。そういえば、山岡士郎も会社の図書室でよく居眠りをしておったな――。薄れゆく意識の中で、そんなことを思い出しました。


2002/5/12

 外は初夏のような陽気でしたが、昼下がりに乗った電車は人もまばらで、冷房がほどよく効き、気持ちよく睡魔に誘われました。暫し頭を前後にふらふらとさせていたのですが、ついに失神し、後頭部を思いっきり窓に打ち付けます。陽光差す車内に、乾いた衝突音が高らかに響くのでした。


2002/5/11

二時間くらいずっとひとりぼっちでコピーをとっていると、「ふえ〜ん」と音を上げながら大雪原をかき分ける東部戦線の独逸兵な心持ちになります。こころが凍傷です。


2002/5/10

夜の雨で車線はまったくもって見えず、たいへんドキドキ致します。「雨が上がれば晴れになる」とコメットさんの地球でのパパがかつて申していたように記憶しておりますが、この雨は上がる気配など微塵も見せず、激しくなっていくだけのように思えます。


2002/5/9

行き詰まりを見せる仕事に苛つき、上司の沖縄人C氏の明るく無慈悲な言葉に呆れた驚き覚えますが、氏とて為すすべが無く、仕様が無くそう申しているだけのこと。これから襲いかかってくるであろう膨大な敗戦処理が予想され、はなはだ気が滅入る心持ちになります。

心労を感じ、仕事の意欲を落っことしてしまったわたしは、机に俯せになり心の中でゴロゴロと悶えました。生きることがたいへんつらいことのように思われました。


2002/5/8

諸事において困惑な事が多く、如何ともし難いこの世界に出口はないかと、辺りをきょろきょろ見回します。机の下などをのぞき込んだり致します。そして気づくのです。最初からそんな出口など無かったのです。


2002/5/7

不平、愚痴、驚愕すべき事――。日々の悲喜交々に漂い、毎日が過ぎて参ります。でも、時には流れに逆らい、人類の遍く主題に思いを寄せることも。果たして、われわれはどこに行こうとしているのでしょうか。

たぶん、どこへも行かないような気がします。


2002/5/6

平素は信仰心に欠けるわたしですが、困りごとなどが起こると、もう「かみさまかみさまかみさま」と連呼する浅ましき体となる始末。

連休終日、明け方三時過ぎに帰宅しようとすると、雨がぱらついて参りました。

「そんなに僕をいぢめても、何もでてきやしませんですよ〜」

奇妙な日本語で天に向かって嘆くのでした。


2002/5/5

明け方に寝て、夕方に目を覚ました。髪を切りに行くと、床屋のおやぢさんが「練馬は30度だったらしいですねえ」と云います。日中ずっと寝ていた身としては、たいへんな驚きでした。

それから、会社に行こうとすっかり暗くなった路を肩を落としながら歩いていきました。顔を上げれば、鯉のぼりが黒い空を泳いでいました。


2002/5/4

わかっていたとはいえ、四連休が灰燼に帰すのをみて笑えるほど、わたしはにんげんが出来ておらず、泣きそうになりながら、人気の少ない総武線に揺られました。救急車と三度ほどすれ違ったせわしく悲しい一日でした。


2002/5/3

にんげんとはわからぬもので、かつてのわたしはクラスでもっとも長く、後ろ交差飛びを続けられる小学生でした。

同僚の京都人Tが、仕事の参考資料としてどこからか拾ってきた電話を見たとき、わたしはそのコードを引き抜き、かつての栄光を再現すべく、狭い職場で後ろ交差飛びを試みようとしました。

しかし、勢い良く振り上げられた縄跳び代わりのコードは、机や椅子に引っかかるばかりで、かつての栄光の時代は、遠い過去のなり果てたことを知らしめるだけなのでした。


2002/5/2

会社の階段を「ふふ〜ん、みさきせんぱ〜い♪」と無意識に呟きながら降りていくと、助監督のKさんに出くわし、きょとんとした顔をされました。聞かれたのか? 聞かれたのか!あああ。


2002/5/1

連休谷間。早朝の道路はスカスカであり、わたしの心もたいへんスカスカなのでした。

「動物は鎖につながれているから喧嘩するんですよ。鎖につながれていないのに喧嘩するのはにんげんだけですよ〜」と聴いていたラジオから会話が流れてきました。

きっとにんげんは、見えない鎖につながれているのに違いないのです。