三月 日々のできごと


過去のできごと
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2002/3/31

運動は嫌いです。運動するくらいでしたら、死んだほうが増しです。でも、死にたくはありません。

健康に執念するわたしは「そういうあなたのためにウォーキング」との文言を健康雑誌に見つけました。たとえばこんな歩き方はいかが?とプログラム例が載っており、

一日目 一駅手前で降りてみる
二日目 近所の公園をゆっくりと一周
三日目 ……

とあります。そして、

七日目 景色のいい場所を恋人といっしょにウォーキング。

わたしの淡い野望は、一週間で潰えてしまうのでした。


2002/3/30

妹のことを回想するとき、同僚の新潟人O氏はいつも遠い目をしている。氏が、

「幼いときはよくいぢめたが、妹が事故にあって以来、守ってあげなければと思うようになったよ」

と語ったとき、同僚の徳島人Yは「ほほおっ」と、その巨体を醜く奮わせたが、氏はそれに一瞥もくれず「でも今は他人の男の女だよ」とずいぶん陰のある笑い方をした。

ちなみに、わたしには弟がふたり居る。ふたりともおたくである。


2002/3/29

同僚の新潟人Oさんが帰宅した後、かの机に上に未開封の十勝バター&蜂蜜パンが置かれているのが認められました。恐らく氏が明日の出社した際に食べようと用意したそれを、巨漢の同僚、徳島人Yが「腹減ったと」呻き散らしながら、おもむろに封を開け、幸福そうに咀嚼始めました。

けだものだと思いました。


2002/3/28

――そして、

「加奈が死んでしまったですう、うえ〜ん」

たいへん興奮したわたしは、これを同僚の徳島人Yに送りつけ、めそめそしながら布団にもぐり込みました。が、たとえ彼女が死んでも、会社には行かなければならない事に気がつき、ますますめそめそしながら、失神したのでした。


2002/3/27

鹿島さんに無理矢理ホテルに連れ込まれ、隆道の童貞が奪われたとき、わたしは悔しさのあまり

「うえ〜ん、鹿島さんに強姦されちゃったよう」

と同僚の徳島人Yにメールを打とうと思った朝の五時三十分だったのですが、寸前の所で我に返ったわたしは、それを思いとどめ、

「お兄ちゃんは、加奈だけなんだよう」

と泣きながら物語を進めると、あろう事か加奈に見られてしまいました。鹿島さんといけないことをしているところを。

加奈ぁ〜、ちがうんだよう、ちがうんだよう。

あらゆる意味で、すべてが終わったのでした。


2002/3/26

暫しギャルゲーでもやって床につこうとおもむろにマシンの電源を入れれば、後の祭りで、あれあれと興奮する始末。空は白み始め、

加奈があと半年で死んでしまいますぅぅぅぅぅ」

わたしはいったいどうすればよいのでしょうか。


2002/3/25

「勉強して、大統領になって、核ボタンおしてやる」(東大通)

狭い路地を曲がったら、またしても恋人たちが抱擁しておりました。10年前のわたしなら、そのような暴力的な心持ちになったでしょう。いまは、ただ、せかいがわたしをいぢめているのだと思うのです。そして、10年後のまだ見ぬわたしだったら、いったいどんな感想を抱くのでしょうか。


2002/3/24

世界中のひとびとのありったけな憎悪を一身に被っても笑顔を絶やさないマイクロソフトのイルカさんが、気味の悪いフルアニメーションで現れ、「なんについてしらべますか?」と問いかけてきたとき、わたしは試みに「死ね」と質問してみました。

すると、イルカさんは尾びれを振り続けた後、「質問の意味が分かりません。他の言葉を使って試してください!」と問いを返してきました。

わたしはなんだか、とても哀しい心持ちになりました。


2002/3/23

じぶんの生活に波風を求める人を、概して冒険家ではないわたしは恐怖と羨望の目を持って接するのですが、本当に怖いのは、波風立たぬよう懸命に行為しているのに、なぜか思いっきり波風が勝手に立ってしまうこのせかいの構造そのものではないかと、車内でラジオを聞きながら考えておりますと、車のライトが片方、事切れていることに気がつきました。

おまわりさんに見つかったら整備不良で挙げられてしまうと、妄想を誇大し、おおいに恐怖したわたしは、這々の体で交番なき裏道に入ってゆくのでした。

今にして思えば、ガソリンスタンドでライトを代えてもらうという発想がそこで微塵も起こらなかったことが、わたしの人生に暗い色彩を投げかけているのかもしれませが、とりえず、今日は土曜日、明日はお休み、ということで、たいへん興奮して帰宅につこうとするのです。


2002/3/22

信号待ちで聞く雨とワイパーの回る音はたいへん侘びしく、枯れゆくものに興を覚えるわたしは、車の中で寂しく喜ぶのですが、その後、もうバスはないのでこれから歩いて帰らなければならない事を思い出し、暗い気持ちがさらに沈んでゆきました。


2002/3/21

歩道に、しかと抱擁する恋人たちがいたのですが、あまりにも微動だにしないので、せかいでも滅びようとしているのではないか(どうして、こんな発想が出てくるのでしょうか)と不安に駆られ、頭を回して周囲を見渡せば、朝焼けに映える桜が満開なのでした。


2002/3/20

こんな夜更けに、立川のデニーズでぽつんと座って暇をつぶすのはとてもあほらしく、そして、とても寂しいことだと思い、めそめそしておりました。

暫くして、ぼ〜っと読んでいた『彼岸過迄』が“幼なじみ萌え萌え”から“メイド萌え”ものに変貌してしまい、明治の末期に漱石は何をやっているのかと心持ちが大いに動揺を始め、もう何もかもがどうでもよくなってしまったのでした。


2002/3/19

高速な運動で視界が狭まっても、水平線の向こう側を見つめれば怖くはない。で、あさっての方角を見ながら、快く車線変更しようとすると、真横にはタクシーが併走していて大いに恐慌する。生きることはとても難しい。


2002/3/18

これを、厚木駅前のコンビニで見て、思ったのでした。時として、せかいは、じぶんがここにいることをひとびとに忘れてもらわぬよう、思いも寄らぬ方法で、語りかけてくるものであると。

嗚呼、わたしがいったい何をしたというのでしょうか。


2002/3/17

今日の腹一杯日記

ホワイトシチュー(白菜いっぱい)を何杯食ったのか、覚えてはいない。白米は四杯ほど食ったと思う。撮り貯めしたビデオを鑑賞しながら食ったため、気づけば恐ろしい量を胃に収めていた。

日が変わろうとするときに、重い腹を引きずりながら出社すると、上司の沖縄人T氏の出張土産、桃太郎だんごが棚にのっかっていた。小さかったので、「甘いものはべつばら〜」と六個食った。死んだ。


2002/3/16

「大人は夢を失ってしまった」と、高校の文化祭で演劇部員が歌い上げたとき、わたしは「けっ」と心の中で鼻くそを舞台に投げつけたのですが、その思いは今も変わらず、むしろ大人は膨張したゆめに押しつぶされる生き物であると、帰り道、自転車の上で悶々と考えていると、次第にその思考は熱を帯びあらぬ方向へ漂い始め、

「すると、日本軍は夢見る軍隊だからインパールで白骨を築いたのか――、“夢見る軍隊”、素敵なフレーズですな」と興奮しだし、えへへと馬鹿みたいに、にやついていると、自転車のかごに入っていたコンビニ袋が風にながされ、川に落っこちていきました。


2002/3/15

なま暖かい朝に、ホトトギスを聞き、春の訪れを感じていると、やがて、騒音のごとくホトトギスがわめきだし、興が冷める。まるで、ぢんせいのやうですねえ。


2002/3/14

わたしは学習をせぬ愚かな人間です。

会社で同僚の京都人Tがカレーを作ったので、空腹を感じていたわたしはそれを食べました。気づけば、二合分の米を食っていました。厚木に行かねばならない用事があったのに、動けなくなってしまいました。京都人Tは、かようなわたしの姿を見て「米をたくさん食えることはよいことですよ、ほほほほほ」と嘲笑したのでした。


2002/3/13

電車の中で、うたた寝する生身のおねいさんが寄りかかるのは、とても嬉しいことなのに、あまり心うきうきせず。むろん、不快なことはない。なぜか?と、悶々としているうちに、新宿に着く。席を立つと、“よってたかって合格させるシステム”という予備校広告の文字が目にはいる。狂っていてとても楽しい。


2002/3/12

もっとも起こってはならないときに、起こってはならないことが起こってしまうから、このせかいは不快なのですが、ともあれ、禍根は残しながらも納品は出来たので、あとは、修羅場でぶっ飛んでしまった会社のパソコンをどうするかなのですが。

どうしましょうかねえ。


2002/3/11

夜半過ぎ。わたしは疲労していました。見知らぬ部署で、内心悲鳴を上げながら作業を見守るのはたいへん心細く、そんなわたしをあざ笑うように、人々の明るい笑いがこだまして、不快な心持ちに沈んでいきます。

でも、もう終わりだ。糞。朝の十時に五反田ですと?


2002/3/10

「半年もかかって、納品直前というのにこの有様か」と云われる。

ぢんせいとは、さういうものなんですよ、多分。


2002/3/9

出先で弁当が出て、「ただ飯なのですね」と喜ぶわたしの隣で、「きょう一日、これも保つわい」と食の細いKさんが暗く嬉しがり、それもいかがなものかと思っていると、目立ちたがりやのW氏が、声優でもないのに自らの声でアフレコをやりだし、あまり寝てなかったわたしはその騒ぎのなかで深い眠りに落ちていくのでした。


2002/3/8

そうそう、えいえんはたしかにあったのですよ。すぐそばに。

いくらFAXで送っても、エラーで相手先に届かない夕暮れに、業を煮やしたわたしはメールをその相手先に尋ねました。

「ani4ever@unnun〜(←あにふぉ〜えばーと読むらしい)ですよ、はっはっは」

北半球に上った異様に巨大な三日月が、きょうもわれわれのえいえんの世界を優しく照らしつけるのでした。


2002/3/7

例えば、同僚の新潟人Oさんのいる世界は、新潟人Oさんを中心に回っている。おなじように、わたしの視界を通してみる世界は、わたしを中心に回っている。だから、業務上の愚痴を張り上げる新潟人Oさんに向かって、同じく業務上の愚痴を大声でわめき散らすわたしが「うるせえ、のですよ」と文句を謂う、つまり、棚上げ行為はごく自然の帰結であると思う明け方であったのでした。


2002/3/6

わたしが、破滅の爽快さにかけるまったりとした苦しみの渦中にあった深夜、ストレスを発散すべく、特に腹も減っていないのに、同僚の京都人Tが会社で作った豚汁を喰いました。煮詰まって塩辛かったものの、旨かったので三杯ほど喰いました。気持ち悪くなりました。

欠乏はいつだって、過剰によって埋め合わされ、ひとびとは幸福な人生を送ることの困難を思い知るのでした。


2002/3/5

納品前、最後の山で、う〜。


2002/3/4

発注して上がってきたものが気にいらぬものであれば、リテイクが出され発注元に戻されるのですが、手直しされたそれを見て、一同、「ををっ、いいね」「いいじゃないですか」と嘆を漏らしました。でも、それは、手違いで全く直らず、もとのままのものだったのでした。

にんげんは、とても理解し難く糞ったれで、いとおしいのです。


2002/3/3

あさ、車を運転していたら、とても眠たくなったので、顔を殴打していたら心持ちがよくなってきた。嗚呼、変態。眠い。しんでしまう。


2002/3/2

机に俯せになって寝たので、気持ちが悪い。視線をふらつかせると、副社長Oさんにもらったかき餅の固まりが目に入る。うまかったのでたくさん食べた。ますます気持ちが悪くなった。


2002/3/1

黒眼鏡の同僚、京都人Tの姿を見て、同僚の埼玉人Hは“ヤクザのやうな”と形容したが、エロアニメ及びギャルゲー・アニメパート担当のA氏が“視覚障害のやうな”と訂正すべきと主張した。

よくわからないが、とにかくその議論に加わりたくないと思ったわたしでも、黒眼鏡はよいものであると思う。それさえあれば、誰にも気づかれずに、きれいなおねいさんをいつまでも眺めていられる。それがよい。