二 回想



その平原にはいくつもの街があった。モンスーンによる温暖で多雨な気候により、単位面積あたりのカロリー産出量のきわめて優秀な植物の人為的な大量育成が可能でだったため、平原はひとびとで溢れ返った

街は機能別にわかれ、それぞれの街は環状に走る鉄道によって数珠繋ぎになっており、さらにその輪は別の路線によって南北を分断されている。輪の中央を貫通するその鉄道にも幾つかの街がぶら下がっていた。東から順番に、電気街・書店街・学生街である。

学生たる身分を暗く謳歌していた当時の松本と鈴木の生活拠点となっていたのは学生街であったが、暇を見つけては、かれらはよく電気街に足を運んだ。松本たちが学生になる何年も前から、その街は電気街とは名ばかりで、生身の婦女子の居ない歓楽街に成り果てていた。

むなしい充足を求めて電気街を彷徨う前に、ふたりは書店街の蕎麦屋を落ち合い場所によく利用した。

ワイヤーの樹林のような地下道にあったその蕎麦屋は、週末ともなると異臭に包まれ、店主を困惑させていた。もっとも、松本にとってその臭いはよく知ったものであり、たとえば、電気街の裏通りに佇む得体の知れない狭苦しい店舗の中で、漂う臭気と同じであった。それは、風呂に入らぬ人の臭いであった。

松本は、その終生にわたって、そんな臭気を放つ人間ではなかったし、また、そんな臭気を放つ人間をその頃のかれは軽蔑していた。松本は、毎日ひげを剃り、風呂にはいるという些末な――しかし、それなりの労を要する――行為の放棄は、人生の怠慢な投棄につながると考えていた謹直な人間であった。また、当時のかれは今だ人生を諦めることが出来なかった人間でもあった。だが、こんな場違いなところで、ふとその臭気を感じると、ちょっとした安堵感が心の中からもたげだし、かれは自嘲気味になった。

もっとも、鈴木の方に顔を向けるや否や、乗数倍に酸味を高める臭気は、松本の許容するところではなかった。かれは、意固地に風呂に入ろうとしないことを、鈴木のあまりにもわかりやすい服装の趣味――それは女性に対するひどく偏ったかれの嗜好を誇示する戯画で彩られていた――と併せて質したことがあった。鈴木はそれが作り笑いであることを明確に知らしめる技巧的な笑みを浮かべて「俺様という化け物を産み出した世間に対する復讐なのだ」というようなことを楽しそうに語った。

松本にはかれの真意がはかりかねるところもあったのだが、とにかく鈴木が下劣な身体を当人の云うところの理知性で埋伏するような何やらきざったらしい男であることは理解した。その理解こそ、物理的にはとても不快な友人には違いなかった鈴木との付き合をかれに続けさせる契機になっていた。松本は、鈴木の嫌らしさに己自身の姿を見出していた。それはとても不愉快なことであった。しかし同時に、かれがこれまで常に抱き続け、そしてこれからも抱き続けることになる孤立感に微かな光が投げかけられているような感覚も否定できないのであった。



それまでに松本が辿ってきた人生は、戯曲的に漆黒な場面を垣間見せることはまるでなかったが、それでも程々に暗い色合いに彩られていたと言ってもよいだろう。

ただ、幼少期のかれが、おのれの人生のことを「せかいの底辺で這い蹲っている」などとひとりで悶々と考えていた気味の悪いお子様だったわけではない。誰しもが抱くようなせかいに対する不安をかれも感じていたかも知れないが、また、かれが人並みに無邪気な日々をつつがなく送っていたことも事実である。松本は確かに人生を満喫していた。幼い頃のかれがとくにその輝ける瞬間と感じていたのは、日溜まりの中でレゴブロックを弄り回しているときである。しかしながら、そこには「ただし」という条件付けの接続詞がくっついてくるのであり、その時のかれはたいていひとりであった。もっとも当の本人はそのことに何の疑問も感じていないようであった。むしろ、ある暗い思い出が、一層かれを孤高なレゴ遊びに駆り立てた。

その日は、珍しく友人たちとレゴ遊びに興じていた松本だった。いつもレゴ遊びをしていたかれのブロックによる造築能力は、同世代の水準を遙に凌駕していた。遊戯が進捗するにつれて、友人たちは自分たちの貧弱な造築物には目もくれなくなり、松本の建物に自らの意匠を勝手に加え始めた。建物は、松本の美意識から見て、どんどん品性の欠けるものになり始めた。

その本性において独裁的な松本は、じぶんのせかいが野蛮な友人たちに汚されることをひどく嫌った。だが、それが自分にとって大切な世界であることを知られること、或いは、自分にとって大切な世界が存在するという事自体が知れ渡ることに恥辱を覚えるかれは、怪奇な構造物に情念を傾ける猟奇的な友人たちを制止することはなく、むしろ進んでそれに荷担した。

かれはいつしか、独りで人生を過ごしたいと願うようになった。それに伴い、かれの周りからますます人がいなくなってしまった。松本はそのときになってじぶんが内気なくせにとても閑寂を恐れる人間であることを、はじめて知ることになった。



日常の諸場面において孤立しがちなことに何の疑念も抱かなかった松本の幼き日々は、かれが青年期に入るとともに静かに消え去っていった。しだいに、かれは自分が教室の隅から空を見上げてばかりいることに気づき始めた。

松本は、鈴木とは違い、周囲の人間が平坦な人格しかもち得ないために、おのれの殊勝な人格が突出してしまったと考えるような楽天家ではなかった。何事にも物怖じしてしまうじぶんの内気な性分が災禍を産んだと考えた。社会的な生き物としての自分が、とても劣位な場所にあることに軽い絶望を覚えた。だから、かれの孤独は、才気で突きだしてしまった杭の持つ誇りではあり得ず、むしろ、後ろめたいものだった。

ただ、鈴木の楽天ぶりは、かれが人生を事象の地平の向こう側にすがすがしく投擲してしまった結果に違いなかったのだが、いっぽうで、松本は人生を決して諦めたつもりではなかった。しかしおのれの人生に関して「諦める、諦めない」という着想に至ってしまうこと自体が、かれの人生に不安の陰が過ぎり始めていることの証左とも言えた。

日々の生活の中で否応なく頭目を露わにしてきた松本の人生における暗黒面は、自由な学生時代が始まると、更に深淵の縁を覗かせるようになった。

もう何年もの間かれが待望してきた学生時代の幕開けは、尋常ではないひとびとの激しい往来で喧噪に包まれる学期始めの構内という表層をもって、松本の頭の中で記憶されている。人混みに苦痛を覚える松本にとって、それはたいへん不快なものであった。呆れるほどのひとびとが周囲にいるというのに、誰ひとりとして知る者がいないことに気のついたかれは、体力的な苦痛とともに、心の苦痛を感じた。自分を知っているにんげんが、両手で数えられるほどしかいないという想起したくもない事実が浮かんできて、今にも消え入りそうな心地がした。

義務教育における共同への制度的な強制は、苦渋に満ちていながらも、反面、寂しがりやな松本に一定の幸福感を与えた。日によっては、おのれの内面以外と会話せずに課業が終わってしまい惨めな気分になったことはあっても、教場という場にいれば多少の顔見知りがいることの保障は、かれの正気を保たせるには十分な機能を果たしていた。

人生における生徒たる身分の期間が終了したとき、松本は、それまで夢想してやまなかった束縛からの開放感がまるで感じられないことに戸惑った。むしろ、じぶんがなにやら物事の定まらぬかすみのかかったせかいに投げ出されるような気がした。精神の乱れに人一倍敏感なかれの胃腸は、しばらく不調を訴え続けることになった。



かれにとって、春はいつも憂鬱な季節であった。桜を見れば、そのけばけばしさに押しつぶされそうになった。春の香はかれの胸を詰まらせた。

春ごとに松本を訪れるこの不安は、これまで取り囲んでいた生活世界の季節的な変動に関係している。人々とのそれまで一年間かけて築き上げられた微妙な関係の、その多くの部分が失われ、また新たな関係を築き上げなければならない事を考えると、松本はトイレに走りたくなる衝動に駆られた。新たな学期の新たな日々に、かれはいつ課業が終わるのか、そんなことばかりぼんやり考えていた。

ある日、松本は大学生になった。生活世界のこれまでにない変動は、かれに大きな負荷を心身両面に渡って与えた。これまでの春の憂鬱とは何か質的に異なっているように思えた。

松本の正気をかろうじて支えた、制度によって強制的にあてがわれた"友人"たちは、義務的な学業の終了とともに失われた。今度、立ち向かわなければならないせかいが、濃厚な集団を構成しようとする動機をそのシステムの内にきわめて希薄しか持たないことは、人間関係に敏感な臭覚を厭でも持たざるをえなかったかれにとって、自明のことであった。だから、かれの不安は、新たに暮らし始めるこの新たなるせかいで、じぶんは誰かと継続した関係を結べるのだろうか。或いは、やがてこのせかいから離れるとき、自分の表層的なイメージや思考の様式がほかの誰かの記憶をすこしでも構成しうることが出来るのか、という内語によって、幾度と無く繰り返された。けっきょく、それは「ともだちが出来るのか」と、何とも情けのない一言によって表現され得た。大学というせかいの自由は、自ら繋がりを求めなければ、ひとりぼっちで教場の隅に間抜け顔をさらさなければならない苦行を代償として、成立していたのだった。

松本は、その様に自由が不安と隣り合わせであることを、知識としては理解していた。そして、それが実感しうる体験としてかれの目の前に現れたとき、松本は、例えば重要な観光資源に値するような古代の遺物や歴史的な建造物を、感嘆の惚け顔で訪れた時々のことをなぜか思い出した。いつもは歴史の教科書の中でしか見ることが出来ないものが、いまじぶんの網膜にうつり込んでいることの不思議さは、松本を奇妙な心持ちにした。更に不思議なことに、かれの視神経を刺激してきたそれらは、きまって写真の中のそれより煤汚れているように松本には感じられた。



何もしなければ誰とでもつながれない大学という空間は、松本が生まれ、過ごしたせかいの極めて理念的な相似形であったと言えるだろう。だが、人々の関係性が希薄であることは、逆に、ごく簡単な手続きさえ踏めば、関係が容易に成立しうることでもある。

空疎な公的制度の裏側には、その隙間を埋めるが如く私的で緩慢な小集団がどこまでも広がっていた。サークルという総称で呼ばれていたそれらの集団は、一見上では様々な目的をそれぞれにおいて掲げていた。だが、社会機能上における役割は、その多様性とは裏腹に均質的な一定を示していた。瞬時に集散を繰り返す教場でとても望めない固定的な人々との繋がりは、校舎の地下の湿っぽい部室の中で実現されたのである。

だから、学生という身分を勝ち得、その代償としてそれまでの人間関係の大部分を償却した人々が、真っ先にやらねばならないことは、学内の地下に点在する小集団へ加入し、見せかけでも何でもよいから、一応の繋がりを手に入れることであった。繋がりがなければ、気が狂ってしまうことを、人々は本能的に解っていたのであり、関係を求め寂しさを埋めようとする人々の猛烈な意思が、春の校舎をいつも込み合わせていたのであった。

松本はその人混みの中で、ジレンマを抱え、困惑していた。かれは、大多数の人々と同じく、ひとりで生きていけるほど強い人間ではなかった。ゆえに、雑種多様な小集団の中で、自分が加入すべきものを見つけだし、その手続きを踏まねばならなかった。だが、ごくまっとうな社会性――それはかれにとって奇跡ともいうべきものだった――を手に入れることが出来た幸運な人々にとって何ともない些細な社会的手順が、かれにとっては恐ろしく困難で疲労を感じるようなものに思えた。大学という新たな世界への加入ですら精神の疲労を感じているかれにとって、さらに新たな小集団へ自らを押しやり、新たな生活世界の中のまた新たな生活世界へ自分を放り込んでしまうことは、精神の耐性の限界を超えかねないように思えた。

松本は、結局、ひとりになることを選ばざるを得なかった。毎日毎日、広大な教場の微妙な位置にある席につき、かつて義務的な教育を受けていたときと同じように、ほこりで汚れた窓を通して、青空からはほど遠い濁った空を仰いで考えた。

「せかいはどうして、こんなにくそったれなのだろう」

つづく


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